カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の59件の記事

退院したのに庭仕事でギックリ腰になる。

20100728gardeneastside

 交通事故に遭遇して約一ヶ月の入院の間に、自宅の庭が草ボーボーになってしまいました。妻は毎日面会に来てくれていたので、庭仕事をしてくれる人がいま せんでした。元気だった一ヶ月前までは、自転車に乗ったりその整備をしたりする場所が自宅の庭だったので、必然的に自分が庭の草取りや植木などの手入れを していました。慣れてくると草取りもあまり苦痛にはならず、作業中に考え事をしたり、あるいは無心になっていたりして、草取りという時間を楽しんでいました。ある程度、庭全体の手入れが済んでいたので、一ヶ月間に生えた草はそれほど多くはなかったのですが、それでも一日で済む量ではありませんでした。簡単な草取り計画図を作成して、自分と妻で朝の涼しい時間に草取りをする作業を一週間続けました。 ...全文

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リアルなスー・マリ

 全然関係ないことなのだが、昨日(4/5分)のブログタイトルには何の意味もない。夜に犬のオシッコをさせに連れ出した団地の庭先で、不思議な光景を目 撃したのだ。その家は狭い敷地に家屋と猫の額ほどの庭があるごく一般的な一軒家だった。ただし庭にトランポリンが設置してあるという例外を除いて、だ。う まく助走をつけて飛び乗れば、そのままジャンプして2階に飛び移れそうだし、逆に2階からそこへ飛び降りたら、ムーンサルトで道路に着地できそうだった。 そう、その光景はリアルなスー・マリ(Real Super Mario Bros.)なのであった。あ、どうでもいい話がとんでもなく長くなってしまった。初っ端から蛇足。

Daily20100406

 朝からとても良い天気だった。実家近くの中央市場の周辺を散歩したら、朝の忙しい市場の中を、普段は目にすることのない様な小型特殊自動車が走ってい た。場外には卸売店が軒を並べていて、魚、野菜、肉、菓子や惣菜、玉子、生花、そして調理器具など、ありとあらゆるアイテムを売っているのが見物できた。 朝の散歩では生憎持ち合わせがなかったので、午後に再度散歩に出た時に店を回ったら、半分以上はもう店仕舞いの支度をしていた。市場だからそれは仕方ない だろう。妻は偶然見つけた店で格安のパン生地の粉とドライフルーツなどを買い求めていた。その店はル・クルーゼの鍋が40+10%オフになっていた。さす がに50%オフでも本来の値段が高いから簡単には買えないけど、憧れの商品が実際に手に取って見ることができるのがうれしい。さながらここは、食材までも が全部そろう山梨の合羽橋みたいなもんだ。ずっと昔、僕が子供の頃からあった市場なだけに、今日のこの展開は予想外に楽しかったな。料理何かできないのに 何故だか興奮している自分…。必要もないのにコックコートとかマイ包丁とかを買い求めてみたくなる。不思議だ。たぶん、プロフェッショナルな空気感の様な 何かが市場全体に満たされていて、その中をさまよううちに我を忘れて酔い痴れてしまうんだと思う。いわば、象形化されていないメタファーに、集合知的な構 成論で意図せずに自分自身が圧倒されているんだろう。レトリックやメタファーといった概念は僕のブームなのだが、そういったものはある種の共通した記憶を 呼び覚ますキーリテラルなんだと考えている。社会通念の上に形成されたレトリックという文化が、抽象化されていたり二次的具体性を持った概念である時、人 間はそれを体感することでそこに内在する記憶を瞬時に追体験するのだ。それは同じ文化を持つ者同士の共感覚となって、人間の五感を刺激する。それが引き金 となって、レトリックにひも付けされた別の記憶を思い出させ、そして感情を揺り動かす。この一連のプロセスがレトリックただひとつから連鎖するという感覚 自体を共有することは実は極めて困難だ。なぜなら概念は共通していても記憶は一致しないから。 ...全文

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ポワン、ポゥァーン、ポアンカレ予想

 今日は自分の誕生日だ。近頃は自分の年齢がよく解らなくなってきた。正確に言うと、計算すればすぐに算出できるから「解らない?」というのはウソ だ。だから、年齢を覚えている意志が希薄というのが本音なのだ。老いるのが嫌だとかいうのでもない。だから、ただ年齢というものに関心がなくなってしまっ たのかもしれない。

 アラフォーに王手をかけて今年の、この現在の境遇はなんたることだろう?もちろん自分が招いた状況だという認識があるので、責任も自分にあること は十分に承知している。ウソ偽りなく病気だし、体調不良を自覚して病識もあるから、ある意味では当然の結果なのだろう。デイケアやカウンセリングで本当に 再び社会復帰できるのだろうか?否、しなければいけないのだ。こ ういう思考方法は病気にはあまり適さないことだって理解している。自分の中にある家長(夫)としての責任や、プログラマーとしての自負、もちろん社会的立 場見たいな足枷が、同じように自分の中にあるそうしたことへの抵抗感や無意識の拒絶反応となって僕の心を揺さぶって惑わせるのだ。今はまだ治療の途中だか ら、そうした判断は専門家に頼ることができるし、そうするべきなのだろう。でも、しばらくして体調が整って心の落ち着きを取り戻したなら、やっぱりきちん と仕事をして給料を家庭に持ち帰れるようになりたいよ。正直なところ…。 ...全文

Daily20100405

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9割の才能と1割の努力

Daily20100404

 甲府盆地はよく晴れた清々しい天気になった。実家近くにある川を犬と一緒に散歩するのはとても気分が良い。時折姿を見せるツバメや満開の桜の花が、青く 澄み渡った空によく映えていた。川原には犬を散歩させている人が大勢いた。午後にも同じルートで散歩したら、川の近くの桜の美しい公園で桜見物をして一杯 やりながら盛り上がっている団体がいた。日中は母が用事で留守だったので、事前に頼まれていたトイレの水回りや火災警報器(報知器)、風呂の設定などの確 認と取り付け作業をした。昼食は昨日買いに行ったパン屋に再度行ってパンを買って来て、「男子ごはん」を見ながら食べた。食後に読みかけのケンタロウの本 (ケンタロウのお気に入りの調理アイテムを紹介した本)を読了した。とっても面白かった。ケンタロウはもとはアーティスト系1)だったはずなのだが、母(小林カツ代さ ん)の影響もあって、料理家の道に入ったという変わり者だ。詳しいプロフィールがネット接続できないので調べられないのだが、本のコンテキストから推測す るに、調理師学校を出た訳ではないらしい。美大は卒業したのかな?美大出身じゃなきゃイラスト書いちゃいけないってことはないし、調理師免許持ってなかっ たら料理しちゃいけないってことはないから、この際それはどうでもいい。何が言いたいかというと、ケンタロウは器用だと いうことだ。料理もするしイラストや文章も書いて、本を何冊も出版している。テレビ・ラジオの出演だって、その独特の風貌で人気ものになっている。何より 有限実行というか、奇をてらうということがない。素だ。そんなケンタロウがうらやましいとか、自分も人気者になりたいと言いたい訳じゃない。人間てのはそ れぞれが持って生まれた才能があって、それにあった努力を続ければその才能が開花するんじゃないかと…。まるで桜の開花がそうであるように、無駄なく自然 に自分自身の能力を伸ばすことができれば、不必要なエネルギーを使うこともないのかなぁと思うのだ。人間はとかく美しく格好イイ目標に向かって努力しがち だと思う。それは悪いことではないけど、世間でいう等身大の自分というプロセスに乗っていないと、いつかどこかのタイミングで無理が生じてしまうのだと思 うのだ。すべての人間が自分の才能を見極めることができるなんて思わない。まして自分の現在を考えれば、適職が何かとか、本当に自分流のライフスタイルが どういうものかだってよくわかっていないのだから。ハウツー本なんかでは自分探しとかライフハックとか目標成就の方法論(XXメソッド)というのがあるけ ど、そんなのは小手先のテクニックであって、それ以上の意味はないのだと信じたい。つまりインスタントな人生論なんてないってことだ。2)このことは20代の頃から薄々気が付い てはいた。他人のことは無駄な努力をしているとか似合わないとかよく思うのに、自分自身のことについてはほとんど評価すらしないのではないだろうか?それ は頭の良し悪しにかかわらず、である。“灯台下暗し”とか“医者の不養生”とかいうコトワザは、そんな中から生まれたのかもしれない。確率的な問題でその 努力が自分の才能と合致して、わずかなエネルギーでその力が開花するときに、他者はその人を成功者と呼ぶかもしれない。ただ、本人はやはりそのことを意識 することは困難で、さらに努力するんだけど…。僕自身はどうなのだろう。客観的に自分自身の考え方や行動を評価したり意識するのは今の僕には難しいかもし れない。そのサジ加減ができないからだ。フーム、そういう点でデイケア・プログラムは良い刺激になっているよな…。...全文

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心の中の2つの背理

 今日から実家の甲府に来ている。朝5:00少し前に妻に起こされて、自動車に荷物を積み込んだり、家の中のゴミを集めたりした。5:20くらいに自宅を 出発、妻の運転で高速道路に乗った。途中サービスエリアで持参した朝食をとってから、再び出発した。薬のせいにする気はもう ないけど、京葉道路から首都高速、そして中央道の記憶がまったくない。気が付いたら八王子インターだったが、さらに次の記憶は朧気な談合坂サー ビスエリアの左折レーンの渋滞だった。初狩パーキングではトイレに行った。そこから実家までは覚えている。なんだか眠ってばかりだな…。...全文

Daily20100403

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(自身の)心は(他者の)心で変われるのかもしれない。

Rhetoric

 昨日と今日は土日なのでデイケアもお休みなのだ。最近のデイケア日記や送別会での挨拶もそうだが、言葉遊び的な表現の技巧に興味がある。少し前に購入し たランボーの詩集レトリックの文献を本棚から引っ張り出してきたりして、ちょっ とその方面の知識を深めようかなぁなんて…。以前はソフトウェアや電子回路の専門書ばかり見ていた(読んでいた、ではなくて)のに、デイケアに通うように なってから少しずつライフスタイルが変化してきた。休日のNHKラジオの文芸選評が妙に興味深くなったのもそのひとつ だし、いろいろな人の影響で自転車通院を始めたのもそうだ。結局変化したのは僕自身の心の中身。身近な人そうでない人も含めて、たくさんの人の考え方に出 会いながら自分の考え方の方向修正をすることができている。渦中にいる時にそのことに気付くことはできないが、結果としてそれが良い方向に向いているなら それでいいのかもしれない。今までの自分は自分の把握できる世界からどれだけ最適なベクトルを模索するかに神経をすり減らしていたように思う。まだまだそ うした癖から抜け出すことはできずにいるが、少なくとも暗黒のトンネルの向こう側に光が見えた気がするよ。多分。 ...編集日記

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2010年の抱負

Katsuma_and_kayama

 今年の抱負を考えなければと、いろいろ思案したのだが、これがなかなか見つからない。なぜだろうと思って「抱負」の意味を調べてみると、心の中に抱いている決意や志望を意味している、と書いてあった。「抱」はわかるが、「負」という字は「背負う」のように「おう」という意味であって、「まける」の意味ではないという。ということは「ダッコにオンブ」というのが「抱負」の意味ということになる。
 たぶん自分の心が曇っているから、胸元も背中も見ることができないのかもしれない。自分の心のかたちや重さがわからないから、抱くものも背負うものも理 解できないのかもしれない。自分の心が進むべき道の長さや険しさを知らないから、道具や衣装を準備できないのかもしれない。そう思うと今年の抱負を思い付 く訳がないのだが、正月のテレビ番組で何気なく見たシーンが頭に残っていて、それにインスパイアされて思いついた。...全文

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2009年を振り返って

 本当は2009年の大晦日までに済ませておきたかったのだが、体調がわるかったり用事があったりして落ち着ける時間ができなかったから、年が明けた今日 (2010年1月2日)に2009年を振り返ってみようと思う。実は一度ブログを読み返してこのアーティクルを書きかけていたのだが、何を書いているのか わからなくなったのでもう一度書く。

 2009年という年は僕にとってあまりいい一年とは言えなかったと思う。正確にはプラス面よりマイナス面が多かったと言うべきだろう。プラス面では仕事と趣味の充実が挙げられる。仕事では会社で開発している組み込み機器の電子回路設計からプリント基板製作をすることができた。それと同時に並行作業して、uITRON4互換のリアルタイムオペレーティングシステムフルスクラッチで、仕様にある機能の8割程をビルドして実機テストすることができた。インプリメント作業が残っている機能は、ミューテックスとランデブ、そしてコンフィギュレータである。実用上はタスク、メモリ、タイマー、割り込みなどの管理はほぼ完成していた。リアルタイムオペレーティングシステム製作の過程で、マイコンと人間のインタラクションの希薄さに失望1)して、FORTH言語をシステムの機能として盛り込もうと躍起になっていたことが思い出される。これは古い考え方ではなく、今でもFORTHに限らず軽量インタプリタ言語や仮想機械実装は、携帯機器のフロントエンドとしてや、ウェブブラウザのスクリプトエンジンとして、実行性能へのプライオリティがとても高い。Androidもそうだし、Javascriptの実行エンジン最適化や、Rubyの仮想機械の高速化など、その方面の技術的な側面はさておき、話題は結構頻繁に登っているのを聞く。趣味ではやはりウェブサーバーの自宅立ち上げを皮切りに、レンタルサーバーへの移行、TwitterDeliciousFlickrYouTube、そしてTumblrな どのウェブサービスの利用が楽しかった。2008年から本格的に自宅サーバー立ち上げテストを行っていたのが、2009年に入って本格的に24時間運用を 開始した。パソコンの不調もあり、およそ半年で自宅サーバーを断念して、@niftyのホスティングサービスに移行したが、どちらにしても CMSWiki などのウェブ開発の表と裏2)を体験できたことや、運用することの難しさ3)を理解できたことは大きかった。趣味という点ではArduinoGainerと いうエレクトロニクス・ガジェットとブレッドボードによる電子工作の楽しさに触れたのも楽しかった。どうしてもプリント基板に目がいってしまいがちだった のが、ハードウェアもソフトウェアもプロトタイプのままリリースしてしまうという、ラピッドプロトタイピングからインプリメントという概念は、それまでの 自分の中の電子工作やヒューマン・インタラクションの考え方を変えさせてくれたいい機会だったように思う。 ...全文

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宇宙から、僕はコタツで。

Isschristmas2009

 昨日の夕食後、いつものようになんとなくTwitterを見ていたら1)楽天三木谷社長つながり(だったと思う)でソフトバンク孫社長に、そして何人かフォローしている人をたどっていたら、先日ロシアからISS国際宇宙ステーション)へ旅だった宇宙飛行士の野口さんに突き当たった!2)野口さんのつぶやきをさかのぼってみると、ISSのパソコンからTwitterポータルにアクセスしてつぶやいているようで、そんな野口さんをフォローできてしまうTwitterの手軽さにちょっと興奮した。野口さんはISSから、僕はコタツからつぶやくという、その置かれている立場やスケールが全然違うのに、つぶやきは同じ粒度なのだという点で、何故かよくわからないがとても不思議な感覚に陥るのだった。...リンク

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朝から活動的→午後に燃え尽きる

Who_am_i

 今日の関東地方はとてもいい天気だったので、朝のウォーキングをしてから愛犬(コーギー)のシャンプーをした。手慣れているとは言っても12月の自宅 シャンプーは結構寒い。一緒に風呂に入れるならいいけど、犬のシャンプー中は自分は水しぶきをかぶるだけで、全然暖かくないからね。で、シャンプーが終 わって後片付けをしていたら、風呂の壁にはってあるタイルが数枚はがれ落ちた!ずっと前から盛り上がっていたので気に してはいたが、なぜ今日なのだろうと…。なんとなく年内は剥がれないかもしれないと思っていた自分が馬鹿っぽい。その後でコーヒーを飲んでクリーニングに 出したスーツを取りに行った。昼食後は自家製味噌の仕込み作業を手伝った。今日予定していた仕事が終わったのでマシンルームでなんとなく「WHO AM I ?」というジャッキー・チェンの映画を見てしまった。が、あと20分でクライマックスという時になって、キッチンの電子レンジが作動して回線が切れた。 なかなかいいタイミングだと思う。...リンク

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