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9割の才能と1割の努力

Daily20100404

 甲府盆地はよく晴れた清々しい天気になった。実家近くにある川を犬と一緒に散歩するのはとても気分が良い。時折姿を見せるツバメや満開の桜の花が、青く 澄み渡った空によく映えていた。川原には犬を散歩させている人が大勢いた。午後にも同じルートで散歩したら、川の近くの桜の美しい公園で桜見物をして一杯 やりながら盛り上がっている団体がいた。日中は母が用事で留守だったので、事前に頼まれていたトイレの水回りや火災警報器(報知器)、風呂の設定などの確 認と取り付け作業をした。昼食は昨日買いに行ったパン屋に再度行ってパンを買って来て、「男子ごはん」を見ながら食べた。食後に読みかけのケンタロウの本 (ケンタロウのお気に入りの調理アイテムを紹介した本)を読了した。とっても面白かった。ケンタロウはもとはアーティスト系1)だったはずなのだが、母(小林カツ代さ ん)の影響もあって、料理家の道に入ったという変わり者だ。詳しいプロフィールがネット接続できないので調べられないのだが、本のコンテキストから推測す るに、調理師学校を出た訳ではないらしい。美大は卒業したのかな?美大出身じゃなきゃイラスト書いちゃいけないってことはないし、調理師免許持ってなかっ たら料理しちゃいけないってことはないから、この際それはどうでもいい。何が言いたいかというと、ケンタロウは器用だと いうことだ。料理もするしイラストや文章も書いて、本を何冊も出版している。テレビ・ラジオの出演だって、その独特の風貌で人気ものになっている。何より 有限実行というか、奇をてらうということがない。素だ。そんなケンタロウがうらやましいとか、自分も人気者になりたいと言いたい訳じゃない。人間てのはそ れぞれが持って生まれた才能があって、それにあった努力を続ければその才能が開花するんじゃないかと…。まるで桜の開花がそうであるように、無駄なく自然 に自分自身の能力を伸ばすことができれば、不必要なエネルギーを使うこともないのかなぁと思うのだ。人間はとかく美しく格好イイ目標に向かって努力しがち だと思う。それは悪いことではないけど、世間でいう等身大の自分というプロセスに乗っていないと、いつかどこかのタイミングで無理が生じてしまうのだと思 うのだ。すべての人間が自分の才能を見極めることができるなんて思わない。まして自分の現在を考えれば、適職が何かとか、本当に自分流のライフスタイルが どういうものかだってよくわかっていないのだから。ハウツー本なんかでは自分探しとかライフハックとか目標成就の方法論(XXメソッド)というのがあるけ ど、そんなのは小手先のテクニックであって、それ以上の意味はないのだと信じたい。つまりインスタントな人生論なんてないってことだ。2)このことは20代の頃から薄々気が付い てはいた。他人のことは無駄な努力をしているとか似合わないとかよく思うのに、自分自身のことについてはほとんど評価すらしないのではないだろうか?それ は頭の良し悪しにかかわらず、である。“灯台下暗し”とか“医者の不養生”とかいうコトワザは、そんな中から生まれたのかもしれない。確率的な問題でその 努力が自分の才能と合致して、わずかなエネルギーでその力が開花するときに、他者はその人を成功者と呼ぶかもしれない。ただ、本人はやはりそのことを意識 することは困難で、さらに努力するんだけど…。僕自身はどうなのだろう。客観的に自分自身の考え方や行動を評価したり意識するのは今の僕には難しいかもし れない。そのサジ加減ができないからだ。フーム、そういう点でデイケア・プログラムは良い刺激になっているよな…。...全文

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