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2010年1月の19件の記事

デイケア 32日目

Ibm_thinkpad

 今日はちょっとだけ遅れて病院に到着、デイケア棟の掃除をしたあと、駅近くのジャスコへ買い出しに出かけた。帰りにいつものコーヒーショップで休憩し た。天気がよくないが1月にしては暖かい日だったので、アイスコーヒーを頼んだら、他のメンバーさんも同じだったのでちょっと苦笑いだ。昼休みは久しぶり にパソコンルームへ行ってみた。といっても、ネットにつながるつもりはなくて、以前に見かけた無線ルーターが使えるかどうか確かめたかったから。それが使 えれば、ちょっとだけ環境が良くなるかもしれない。メンバーさんが二人いて、お互いにYouTubeで音楽を聞いていた。二人とも音量を上げて聞いていた が、はたして自分の聞きたいように聞けているのか疑問だ。それはともかく、無線ルーターの方は、小型の電源アダプターが破損していた。よく調べるとコンデ ンサーがハンダ剥離で浮いてしまって、発振したかなにかで焦げていた。本体は見た目に異常がなさそうだったので、万事休すかと思って残念だったが、幸いに も破損したIBMのThinkPadの電源アダプターが使えそうだった。ルーターは12VだがThinkPadのそれは16V出力、どのみちルーター内で 5Vや3.3V回路は組まれているはずで、12Vは無線系のアナログ回路給電と考えて、接続→通電→チェックしてみたら使えそうだった。来週以降、もう少 しパソコンの環境を整えるべく、いろいろと考えてみようと思う。といっても、それほどメチャクチャにするつもりはないのだが。メンバーさんたちも YouTubeが見れるパソコンが2台(内1台は僕がPuppyLinuxをインストールしたヤツ)しか無いと言って嘆いていた。その悲しみに報いるつも りはないけれど、自分が触るときにちょっとでもいい方がいい。...全文

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デイケア 31日目

 今日のデイケアは午前がサロンで午後が喫茶であった。サロンではデイケアのメンバーさん用にコーヒーを入れてから、今月の全体会議と小さな誕生会をし た。会議ではデイケア喫茶の運営方針についてと、バースデーカードと一緒に渡すプレゼントについて話し合った。喧々諤々な感は否めなかったが、司会を努め るメンバーさんと、絶妙に論点をコントロールするスタッフさんとの連携プレイ・トークで、なんとなく議題がまとまっていくのに関心してしまった。デイケア のメンバーなだけに論点という考え方は苦手なのかもしれないが、それでもみんなのために考えているんだなあと思うと、健気で素直な人たちなんだと思ってし まう。ときどき口が悪い時もあるけどね。

Coffee

 午後のデイケア喫茶では、職員も利用する病院の食堂へ出張販売に出かけた。と言っても、僕は初めてなので見習いである。後ろに立ってベテランのメンバー さんの動きを見ながら、ちょっとだけ手伝いをしたりした。食堂には医師、看護士、心理士、栄養士さんたちが続々とやってきては、食事を済ませて戻って行っ た。顔なじみの人たちが僕等のデイケア喫茶出張販売のコーナーにやってきて、コーヒーやおやつ(ゼリー、羊羹)を買って行った。コーヒーを頼む側とコーヒーを作る側、コーヒーという鍵を挟んで少しだけ違う立場にいるだけなのに、緊張感がまるで違うというのが興味深い頼む側のエネルギーは案外少なくて済むものだ。頼むときにコーヒーという鍵を受けとるための対価を支払う必要はある。でも、あとは待つだけでいい。作る側のエネルギーは ちょっと想像するだけで力が入ってしまう。コーヒーという鍵を作ることを頼まれて、一定のクオリティを維持しながら注文のとおり(といってもコーヒー一 杯)に作り届けなければならない。こういう思考方法が自分のモチベーションを必要以上に高めてしまうのかもしれない。そして自滅してひとり汗びっしょりに なっている自分…。ハハハ、バカだね。...全文

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デイケア 30日目

 デイケアで病院の受付を済ませたときには体調がいいなんて思っていたが、ミーティングルームに着くとやっぱり体調がよくなんて言えないと思った。のぼせ 感は少し収まっているものの、動悸と胸痛は相変わらずで苦しい。明日はデイケア喫茶とサロンがあって、今日はその準備作業をしていたのだが、僕はそういう 作業に参加する気力がでなかったので、ストレッチに参加することにした。午後はソフトバレーボールをするメン バーさんとスタッフさんたちが病院外の施設で練習をするとのことで、連れ立って移動していったからデイケア棟に残ったメンバーは少なかった。小さなグラウ ンドでバ レーボールの練習をしていないと、活気のある歓声が聞こえないからちょっとだけ寂しい。音楽にはいつものメンバーさんが参加していた。音楽療法士 さんが別の用事で遅れてくる間、馴染みのメンバーさんが司会役を買ってでてくれた。こういうときにそういうことができるのは素晴らしいと思う。勇気とは ちょっとちがうけど、自分に少なからず自信がないとできないと思うから。最後にトーンチャイムで森山直太朗の「さくら」を練習して、今日はお開きと なった。

Librarybooks
 結局のところ体調はあまり改善したとは言えない。今日は比較的安定していたというところで、午後に薬も飲んだし なるべくストレスから離れるようにもしていたから、その効果があったというだけだ。自宅に帰ってくれば来たでまた別のストレスを生む可能性もある。不器用 な今の自分にはすぐ先の未来に自分がすべき行動の予測がうまく立てられないのが腹立たしい。人は「うまくやる」必要なんてないと 簡単に言ってのけるが、まさしくそれが簡単じゃない。うまくやるっていうのは無意識なんだな。その人がうまいかうまくないかは問題じゃないのかもしれな い。行動が生む結果が、他にとって許容できるかどうか、それが「うまくやる」ということなのではないか?それを考えて「うまくやる」ようにしていること に、本質的に意味がないのかもしれない。そういう思考方法がそもそもうまくやれてない。...全文

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デイケア 29日目

Chairatforest

 今朝もウォーキングの後で家の掃除をしてコーヒーを一杯、デイケアに行った。相変わらず体調が良くないのだが、どうやら血糖値の変化があるとき悪い連想(妄想?)を繰り返すときに 悪化するように思えてきた。食後に鼻血が出そうになることは毎回だし、食前に妙な緊張をするときに動悸と胸痛が強くなる。他にも悪化するタイミングに思い 当たる節が見出されてきた。デイケアのミーティングルームにある血圧計でしばしば測ってみるものの、血圧が若干高くて脈拍が120くらいなので特別異常と いうほどでもないらしい。それでも、強い動悸とのぼせたような感覚は苦しいし怖い。ミーティングルームよりも音楽室や屋外の空気の方が冷たいので気持ちい いのだが、今度は鼻水がでるので鼻血と勘違いして気持ちが悪くて不快だ。どうにかしてくれ。

 午前はストレッチをしてから少しだけピアノを弾いた。午後は音楽のプログラムに参加して、いろいろな音楽を聞いたり世間話をしたり歌を唄ったりした。ス タッフさんたちはみんな親切で、さりげなくメンバーさんの行動や会話を見たり聞いたりしながら叱咤激励してくれるのが頼もしい。その一方でメンバーさん同 士の「解体した思考」による会話を、真面目に聞き正そうとするととても痛い目を見るので困ってしまう。喋っている本人は真面目なのだろうが、話の筋が論理的に狂っていたり、そもそも語彙とその意味が違っていたりするので、それは聞き手のこちらにも覚悟が欠けているという問題があるのだろう、か? あ〜、何を言いたいのかよくわからなくなってきた…。...全文

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デイケア 28日目

 今朝の目覚めは良いという訳ではなかったのだが、朝食後にすぐに散歩に出たおかげで、朝の時間を浪費せずに済んだ。先日の一件もそうなのだが、このとこ ろ体調が良くない。のぼせ感と動悸・頻脈・胸痛で、ときどき気が遠くなる(めまいがする)こともある。夕方前に気分安定薬を飲むことで午後を乗り切ること ができるようになったが、気分の変化に体調が左右されて、しかも気分が安定しないのだから改善されたとは言えない。就寝時はもっと苦しいのだが、睡眠薬な どのおかげで眠りに落ちることができる。そして気が付くと目が覚める、という毎日である1)

Playingpiano

 数日ぶりに行ったデイケアだったが、今日はデイケア主催の麻雀大会であった。僕は麻雀を知らないのでゲームには参加しなかったが、午前のストレッチと午 後の音楽のプログラムに出た。といっても音楽は10分位で切り上げて、麻雀大会のミーティングルームに戻った。馬が合わない人がいるとどうしても気になっ てしまう。音楽は楽しいのだが、その人が同じ空気を吸っていると意識するだけで、こちらの気分が悪くなる。会社などではそういう雰囲気にも慣れなければい けないのだろうが、ここはデイケアである。自分の負荷になると感じて、それでも大丈夫かと自問自答を繰り返して、結局音楽室から退散することにした。残念 だ。でも仕方がない。体調が悪くなるよりはいい。そういえば、昼休みはピアノを弾いた。以前に比べてだいぶカンが戻ってきたように思う。コードを見ながら なんとなく曲を奏でる事ができるようになると、音楽が俄然楽しいものに感じてくる。 ...全文

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デイケア 27日目

 朝の調子はそれほど悪くなかった。この何週間かは朝食後に朦朧としてしまうけど、その眠気から覚めるとむしろ少し清々しい感じになる。そしてデイケアで 病院に来れば、軽い緊張感で気持ちがシャキッとしてくるのだった。午前中は誘われるままストレッチに参加した。ストレッチのスタートが少し遅れたので、先 日見つけたゴダイゴのベストアルバムをパソコンルームへ持っていって、Puppyでリッピングするように仕掛けておいた。ストレッチ終了後にデータを USBメモリに回収できた。(マシンパワーが足りなくて、データ転送に異常に時間がかかったが…。)ミーティングルームに戻ると「おにぎり倶楽部」 なる調理実習が始まっていた。僕も遅れて参加した。初めてなので勝手がわからなかったが、竹輪や水菜を切ったり洗ったりするのを手伝った。炊きたてのご飯 と作りたてのおかず(白菜のポトフ、煮びたし、ポテトサラダ)は、とっても美味しかった。給食とは違って少人数分作るから美味しいとも思う。

 昼食後は読書をしたかったのだが、ザワザワしている灰色のミーティングルームに何となくいたたまれず、居場所を求めてデイケア棟を徘徊した。結局 は読書はあきらめることにして、音楽室で久しぶりのピアノを弾くことにした。昼休みが終わる時間になると、音楽のプログラムに参加するメンバーが部屋に集 まってきた。音楽療法士さんは30分遅れることがわかっていたのだが、みんなは何となく円座を囲んでそれぞれの担当医師の話をすることになった。何某先生 は診察の時にどうだとか、誰先生は診察時間が1分だとか、そんな話が出たので面白かった。そういう話をしていると病気の話も出さざるを得なくなる。僕が音 楽のプログラムで知り合ったメンバーさんの一人が、てっきり僕と同じ鬱病だと思っていたら、統合失調症だったので少し驚いた。(もちろん、本人にそういう 話はしていないが。)僕自身の病気の話はするチャンスがなかったのだが、スタッフさんが言っていたとおり、統合失調症の人がかなり多くいるということがわ かった。一ヶ月半でようやく一人だけ鬱病の人を見つけた。他にもいるのかな? ...全文

Ambulance

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デイケア 26日目

 

胸が痛む胸が痛むの本来的な意味ももちろんあるのだが、本当に肉体的に痛む。朝はあまり気にならないが、昼食前くらいになるとズキンあるいはキューっと痛くなる。昼食中などはめまいもするのだが、午後になるとさらに痛みが増して呼吸が辛くなることもある。回転するようなめまいも時折ある。胸痛に関する情報をインターネットで調べたら、もしかして気胸なんじゃないかとも思ったのだが、息をして痛いということはない。ただし、特に運動も興奮もしてないのに頻脈だし、手足がメチャクチャ冷たい。まるで氷みたいなのだ。午後から夜にかけての胸痛とのぼせ感、鼻血がでそうな顔面の圧迫感があるのだが、手を額にかざすと冷たくて気持ちいい。いや、本当はあまりよくないのかもしれない。トータルで。...全文

Invisible_wall

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龍馬伝でお馴染みの…

Twitterryomasakamoto

 NHK大河ドラマ「龍馬伝」の主人公、坂本龍馬さんにフォローしていただきました! でも、あなたのことをよく知りません…

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デイケア 25日目

 今朝、病院に着いて受付で投稿したtumblrでは「少しだけ気分がいい」なんて書いた。それに続けて「けど、頭が重い。胸が苦しい。」 とも書いた。気が付くとこの数日は、のぼせたような感じで頭が重く鈍く痛いし、胸がキューンと締め付けられるように痛い。熱いものや辛いものを食べたり食 べ過ぎたりはしていないから、何か別の要因なのだろうか?頻脈もあるし、ときどき妙な匂い?がする。鼻血が出そうな圧迫感が顔面に広がるときがある。大丈 夫か、自分。

Sanjashrine

 それでも病院に来たときは何となく調子が良かった(と思う)。昨日までがあまり良くなかった分、普通の状態1)に戻ったというだけかもしれない。午前中はデイケア棟の掃除をしてからストレッチに参加して、その後昼食の時間までW・パウンドストーンの「パラドックス大全」の 続きを読んだ。午前中は頭重感があったが、あまり気にはならなかった。昼食から昼休みにかけて、心臓の鼓動が聞こえそうなくらいドキドキしていたように思 う。胸が苦しくなって頭が締め付けられるようにズキンと痛くなる。だが、鎮痛剤を飲んで治まるという感じの痛みではない。耐えられるが苦しい感覚。妙。午 後は散歩に行くというメンバーさんがいたので僕も参加することにした。行き先は片道30分くらいのところにある三社神社だ。今年二度目の初詣である。あ、じゃ なかった。外の新鮮で冷たい空気を肺の中に吸い込むと、少しだけ頭と胸の痛みが和らぐ気がする。デイケア棟のミーティングルームは暖かくて過ごしやすい が、こうして外をブラブラしながら春を望む薄緑の草木の中を散歩するのは気持ちが良かった。小さな神社ではあったが、狭くて急な参道から階段を登って境内 に着くと、ちょっぴり神聖な気分になれた。帰り道、何気なく目をやった幼稚園のフェンスに蝋梅の花を見つけた。うまく撮影できなかったのだが、紅梅・白梅 が咲くまでの短い間、黄色い蝋梅の儚く可憐な姿は美しい。透き通るような花弁を見ると、蝋梅とはなかなかうまいネーミングだと関心してしまう。...全文

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デイケア 24日目

 今日は頭痛で目が覚めた。これはマズイと食前に頭痛薬を飲んだ。病院に行く時間になると薬が効いて頭痛はなくなったが、鎮痛時にある独特の頭に膜を貼ったような圧 迫感が残った。今日のデイケアは喫茶活動がある。昨日までは出張喫茶の補助要員として準備活動に参加してきたのだが、受動的な行動は実践の今日まで保たな かったようだ。能動的な行動すなわち自らの意思で行うということは、ある意味では自由で勝手なことのように思える。実際に若い人たち(自分の若い頃も含め て)はそうしているように見えるし、自分も若い頃はそうしてきたように思うからだ。しかし、社会で自由に振る舞うということの本質には、社会で決められた 規則を遵守することが含まれている。これは単に法律を守るということではなく、常識とかマナーとかいう曖昧で勝手な人間の作った規則が大きく関与している と思う。むしろ、法律なんて日常生活ではほとんど気にすることなんてないのではないか。自動車は道の左側を走行して信号を守り、他人の財産や生命を脅かす ことなく生活していれば、大抵のことはうまくいく。いや、そううまくはいかない。万事休す。おのが足元を見よ…自分。 ...全文

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デイケア 23日目

 朝からイライラというか、何となく気分が晴れなかった。朝は小雨で寒かったが、デイケアには行こうと思った。デイケアのプログラムに参加するかどうかは 別にして、自宅とは別の環境に移れば(少しは)何かが変わるような気がして…。午前中はスタッフさんの誘いで、明日のデイケア喫茶で販売する羊羹やゼリー を作る手伝いをした。昼食後は昨日と同様、音楽室で一時間位ピアノを弾いていた。例によってさっぱり弾けないのだけれど、簡単なポピュラーソングの楽譜を 見ながらなんとなくコードを押さえていくと、ピアノの不思議な倍音が聞こえてきてとても心地よかった。なんでピアノはあんなにいい音がするのだろう?ピア ノに限らず楽器はそれぞれ特徴のある音がする。楽器を演奏するときの、コード進行とそれを構成する音の組み合わせが、和声理論の上で厳密に限定されている にも関わらず、それが心地よく聞こえることが奇跡のように思えてくる。「なぜ心地よいのか」ということは、正確に説明することができるのだろうか?それは 絵画の美しさを物語ることにも似て、本質的には説明困難なのにもかかわらず、人類共通の美的感覚という不思議な体験なのだと思うのだ。...全文

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デイケア 22日目

 今日は朝から雲があったので、それだけで憂鬱な気分だった。昨日の晩の天気予報で雨になることを知っていたのに、やっぱり雨なのかという圧倒的な現実感 に打ちのめされてしまう。雨は昼頃にしとしとと、午後になると本格的に降ってきた。東京では雨が初雪になったそうだが、残念ながら千葉では雪を見ることは できなかった。雪になったらなったで、寒いし不便だし心配の種が増えるから嫌なんだけどね。デイケアのプログラムは午前中は麻雀大会1)で、午後はカラオケ大会になった。あ、午後も麻雀大会は並行してやっていた。っていうか、麻雀は遊びだからいつやっててもいい…。

 午前中は特にやることもなく、ずっと以前に読了したW・パウンドストーンの「パラドックス大全」の 気になる項目を読み直そうと思っていた。しばらくするとスタッフさんがやってきて、コーヒーを入れる練習をしようと言った。デイケア喫茶の出張販売で、職 員食堂でコーヒーを入れる係を僕がやってはどうかという誘いだったのだ。僕は僕で年末年始の休みによって体調と精神が狂った状態が修正できていなかった。 何かを考えたり判断したりすることが困難で、鈍い頭痛やイライラ・ドキドキする気持ちが続いていたから、そういわれても話し半分かつ生返事で コーヒーの練習をすることになってしまった。練習にはデイケア喫茶で使うコーヒー豆とドリッパーやサーバーを使い、お湯を沸かして本番さながらの準備をし てから、いろいろと方法を変えながらコーヒーを入れてみんなでテイスティングした。同じコーヒー豆と同じ器具を使っても、別の人が別の入れ方をすると別の 味がした。文章で書くと漠然としているようで当然のことだが、リアルタイムにコーヒーを入れて飲むという作業は、とても興味深いものであったことは確か だ。...全文

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デイケア 21日目

 今日は気分がよくない。正直言って何をするのも面倒だし頭も痛いのだが、デイケアのミーティングルームで雑音と悪臭1)の 中で過ごすよりは、こうして昼下がりのグラウンドでMyloに向かってブログを書いているほうが余程マシだ。朝から頭痛があって朝食後には睡魔で朦朧とし たが、家の掃除を手伝ってコーヒーを一杯飲んだら少し落ち着いたのでデイケアに行った。頭痛は薬を飲むか飲まないかのギリギリの鈍痛で、心の中は曇ってい るような濁っているような風に感じている。感覚神経から脳へ入ってくる情報のほとんどが意味消失しており、したがってそれらを正しく判断したり取捨選択す る能力が低下しているのが自分でもわかる。わかるのにどうにもならない感覚、これは思考力低下状態だから当然なのだが、その状況を自分では処理することが できない苛立たしさから、次第に閉塞感に追いやられてしまうのであった。思い出すのはW・パウンドストーンの「パラドックス大全」に書いてあったウソつき族の寓話だ。あるいは、以前から自分の頭の中にある「愚者は自分が愚者であることを理解できるか?」という命題と同じかもしれない。さらに付け加えるなら、焦ると治らない病気でいる人に、期限付きの課題を与えることともよく似ている。むしろこちらの方が今の自分の感覚に対して最適化がかかっていると思う。

Flyingstone

 多分、昨日のデイケア行事の餅つき大会の疲れが出ているのだと思う。自分では感じなくてもいろいろと余計な神経を使って、自分勝手にストレスを溜めて自 滅しているのだ。数日経てば少しだけ元気になるだろう。でもなるべく冷静に自分の現状を考えてみると、時間の経過はトータルではプラスにならないんじゃな いかと思うようになってきていることに気付く。休息によって病気は快方に向かうかもしれない。だが社会的地位を維持することはできるのだろうか?自分が想 定している普通のサラリーマンで居続けることができるのだろうか?うつ病に は休息が大事なのかもしれないが、それは自分のアイデンティティが確保されている間に限られるか、自分自身でアイデンティティの見直しを図らねば前進しな いのではないか、と。社会を変えることは容易ではない。だったら、不適合な自分を社会に適合させる、というのは正しい道なのだろうか?最近うつ病治療に関する様々な憶測が飛び交っているが、果たして自分は正しく治療されているのかと、素人考えで悩んでしまうのも問題だ。そういう余地が与えられているということも、どうあのかと思ってしまう。あぁ、循環型閉回路思考…。 ...全文

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デイケア 20日目

2010mochitsuki

 差別区別の意味はとてもよく似ていると思う。だがしかし、日常生活で一般的に使うこれらの言葉の表す行動を見ると、その意味の相似とは逆に、それぞれ異なるベクトルを示しているように思える。

差別
  1. あるものと別のものとの間に認められる違い。また、それに従って区別すること。
  2. 取り扱いに差をつけること。特に、他よりも不当に低く取り扱うこと。
区別
  1. あるものと他のものとが違っていると判断して分けること。また、その違い。

 物事の違いを見極めるという点で、ふたつの言葉はとてもよく似ている。これは差別という言葉に区別という言葉が含まれていることからも明らかである。決定的に違うのは、差別という言葉に含まれる侮辱的・必然的悪意であろう。差別の用例として「性の差別(=性差、男尊女卑)」「人種の差別(=優生学)」などがあり、どの例も自然科学的には単なる区別としての「差」であるにも関わらず、そこから生まれる文化や歴史を評価した上で、根拠のない不当な行動がなされていることになる。よく知るところでは海外のアパルトヘイトカーストが有名だが、日本の歴史で登場する士農工商をはじめ、現代における部落問題などの差別問題は多数存在している。そうした差別問題の多くは歴史的な背景が根強く反映されていて、あたかも不文律であるかのように社会に存在し、そして浸透しているおかげで普段はまったく目に見えない。ただし、差別される人達は別なのだが…。...全文

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デイケア 19日目

 唐突なのだが、2009年の12月末から昨日まで、早朝のウォーキングができずにいた。起床してから洗顔、朝食を食べるまではいいのだが、食べ終わる頃 になるとどうにも眠気が強くなって、平手で自分の頬をぶっても、グーで頭を殴っても眠気が拭えない。体の動きが緩慢になって、頭の中も朦朧としてしまうの で、妻と犬と一緒に散歩ができなかったのである。千葉県でも冬は外を歩き回るのは寒い。でもお腹の脂肪と体重が気になる。よく脂肪が厚いと寒くないとか言 うけど、手足の指とか首とかは寒いでしょ?あ、いや、寒いから眠くなる訳ではないのだが、ともかくなんとかして一緒にウォーキングをする方法を考えること にした。その解決方法は、目が覚めたら着替えずにパジャマと上着を一枚羽織るだけにすることだ。昨日までは起きたらす ぐに部屋着に着替えてから、さらに毛糸の帽子とフリースのネックウォーマ、もちろん靴下も履いていたから、眠気がさらに助長されていると考えた。最初から 少し寒いままでいれば目が覚めた状態を維持できるし、着替えるタイミングでウォーキングの装備をすれば歩かざるを得ない。かくしてその戦略は成功し、早朝 ウォーキングをしたのだった。

2010temple

 ウォーキングから帰ってきて、家の掃除を手伝った。ひと通り終わったところでコーヒーを入れて飲んだ。デイケアにはいつもの時間に到着した。午前中はストレッチをして体を温めてから、メンバーさんが散歩に行くというので一緒についていくことにした。行き先は病院の近くにある地元の神社とのこと、僕は今年の正月に初詣をしてなかったので幸運だったといえる。往復1時間程の散歩から帰ってきて昼食をとった。午後は音楽のプログラムに参加した。例によってメンバーさんが聞きたい音楽をかけながら、いろいろな話題を交わすのがおもしろい。最後にトーンチャイムで森山直太朗の「さくら」を演奏した。春の発表会1)ではみんなで歌おうという提案があった。自分としては参加したい気持ちがあるが、それとは逆の複雑な心の葛藤もあったりして、少し疲れてしまったかもしれない。...全文

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鬱病(41) 整理したい気持ちとできない心

Medicalcertificate

 今日は精神科外来の診察日だった。いつも診察のときにはそれまでの数週間の調子を聞かれ、自分は思ったこと感じたことを医師に話す。だが、数週間の間に 起こった自分の心の変遷を、診察の10分あまりの時間で語り尽くすことは難しい。それに、病院や医者といったオカルト的要素が加わって、診察室に入ると少 し病状が良いような気分になるから始末におえなくなる。今回の診察では妻の助言で、年末年始を挟む3週間の自分の状態をメモにして持っていった。医師には その旨を伝え、そして聞いてくれた。耳鳴りのこと、めまいのこと、雑音が気になること、デイケアのことなど、メモしたことはほとんど伝えられたと思う。精 神科と内科1)の診察を終えて薬はいつも通りになったが、自分の症状に対する説明をもらっていないことに気が付いた。それでもひとつだけ確認できたのは、自分はやっぱりうつ病なのであって、統合失調症ではなかったということだ。これは統合失調症を差別しているということではなくて、診断が違えば薬や治療方法も違うだろうという、自分の妄想にも似た思い込みを正してくれた、という意味なのだ。医師が簡単に判断する規準として教えてくれたのは、うつ病の患者は自分の病気を認識して悲観したり苦悩したりするけれど、統合失調症の患者は自分の病気に自覚がないのだそうだ。これがすべてではないにしても、なるほど自分は当てはまらないなぁと納得できた。そして、診察室で医師に話したメモの内容は僕の一方的な発言であって、医師に対する質問と助言の要請ではなかったのだと、今になって思っている。でもまぁ、それはそれでいい。ど のみち焦って治るものではないのだし、耳鳴りやめまいが治ったら、憂鬱な気分が晴れたり俄然ヤル気が出たりするわけでもないのだから。後ろ向きといわれそ うだが、現実を見ようと思うのだ。今年の抱負でもある訳だし。「身の程を知れ」と。以下の項目は今日の診察に持参したレジュメである。

  1. 睡眠時間は十分、浅い眠りということもないが、起床して朝食をとった後、急に強い眠気に襲われる。ほぼ毎日。1時間位すると霧が晴れるように眠気がなくなる。午前中は少しだけ倦怠感が残る感じ。
  2. 食事をする直前や直後に強いめまいがある。ほぼ毎回。看護師さんに血糖値を計ってもらったが、95くらいだった。自律神経?
  3. 昼から就寝時にかけて「ジー」というような耳鳴りがする。これは毎日で、特に夕食後は大きく聞こえる。薬の影響か?
  4. 話し声や雑音(テレビの音、自動車の音など)がとてもうるさく感じることがある。日中に何度か。怒りの感情やイライラ感も沸いてくる。ラジオは聞けるがテレビは見れない。
  5. 一方的で自分が求めていない(あるいは関心がない)情報を与えられると、何も考えられなくなって呆然としてしまう。思考停止状態。しばらくすると元に戻る。緊張すると特に顕著。急激で多量の発汗。以前は同時にできたことでも、今はできなくなっている。
  6. デイケアはいい訓練だと思うのだが、職場復帰しなければいけないという思いと、焦ると病気は治らないことの整理がつかない。デイケアで数ヶ月先の予定を聞 かれると、自分の将来(たった数ヶ月先)が全く不透明なことを認識させられるようで、それだけのことに軽いパニック状態になる。自分を見失うような感じ。 どうしていいか、どうなるかが予測できない恐怖。
  7. 鬱病と統合失調症の違いはなにか?自分はなぜ鬱病か?

 前回依頼しておいた診断書を持って市役所に行った。自立支援制度の更新手続をするためだ。今までは年一回の更新手続に診断書を毎回提出する義務があった が、法律が改正されて二年に一度だけ診断書を提出すればいいのだそうだ。といっても、この申請をしないことにこしたことはない。窓口で「今回は診断書は必 要ですが、次回は保険証と証書だけ持ってくれば結構ですよ。」と言われても全然嬉しくない。だって「次回はなし」にしたいでしょ?でも今の状態では復職できても診察と服薬とデイケアは続くだろうから、「次回はあり」になるだろうけど…。...全文

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2010年の抱負

Katsuma_and_kayama

 今年の抱負を考えなければと、いろいろ思案したのだが、これがなかなか見つからない。なぜだろうと思って「抱負」の意味を調べてみると、心の中に抱いている決意や志望を意味している、と書いてあった。「抱」はわかるが、「負」という字は「背負う」のように「おう」という意味であって、「まける」の意味ではないという。ということは「ダッコにオンブ」というのが「抱負」の意味ということになる。
 たぶん自分の心が曇っているから、胸元も背中も見ることができないのかもしれない。自分の心のかたちや重さがわからないから、抱くものも背負うものも理 解できないのかもしれない。自分の心が進むべき道の長さや険しさを知らないから、道具や衣装を準備できないのかもしれない。そう思うと今年の抱負を思い付 く訳がないのだが、正月のテレビ番組で何気なく見たシーンが頭に残っていて、それにインスパイアされて思いついた。...全文

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デイケア 18日目

Knowmyself

 今日は2010年最初のデイケアである。いつもより少しだけ早く病院に到着、メンバーさんたち(デイケア利用者のこと)の集まりはあまりよくなかった が、9時を過ぎる頃になるといつもの顔ぶれが集まってきた。お互いに朝の挨拶と新年の挨拶を交わし、スタッフさんが来ていつものミーティングに入る。僕は 午前中にストレッチをしてから昼食まで、ミンスキー博士の「脳の探検」という本を読んだ。以前に購入して積読状態になっていたのだが、新年に向けて勉強する本として相応しいんじゃないかと思ったのだ。ミンスキー博士は人工知能で有名だが、この本の中では人間の心というものを科学の視点で解明する方法を紹介してくれている。あえて問題提起や結論を急ぐような話題になっていないのが良い。これに呼応するジョン・サール博士の「中国語の部屋」が思い出される。人工知能の旗手と、それを哲学・論理学の見地から否定する騎士だ。実におもしろいと思う。 ...全文

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2009年を振り返って

 本当は2009年の大晦日までに済ませておきたかったのだが、体調がわるかったり用事があったりして落ち着ける時間ができなかったから、年が明けた今日 (2010年1月2日)に2009年を振り返ってみようと思う。実は一度ブログを読み返してこのアーティクルを書きかけていたのだが、何を書いているのか わからなくなったのでもう一度書く。

 2009年という年は僕にとってあまりいい一年とは言えなかったと思う。正確にはプラス面よりマイナス面が多かったと言うべきだろう。プラス面では仕事と趣味の充実が挙げられる。仕事では会社で開発している組み込み機器の電子回路設計からプリント基板製作をすることができた。それと同時に並行作業して、uITRON4互換のリアルタイムオペレーティングシステムフルスクラッチで、仕様にある機能の8割程をビルドして実機テストすることができた。インプリメント作業が残っている機能は、ミューテックスとランデブ、そしてコンフィギュレータである。実用上はタスク、メモリ、タイマー、割り込みなどの管理はほぼ完成していた。リアルタイムオペレーティングシステム製作の過程で、マイコンと人間のインタラクションの希薄さに失望1)して、FORTH言語をシステムの機能として盛り込もうと躍起になっていたことが思い出される。これは古い考え方ではなく、今でもFORTHに限らず軽量インタプリタ言語や仮想機械実装は、携帯機器のフロントエンドとしてや、ウェブブラウザのスクリプトエンジンとして、実行性能へのプライオリティがとても高い。Androidもそうだし、Javascriptの実行エンジン最適化や、Rubyの仮想機械の高速化など、その方面の技術的な側面はさておき、話題は結構頻繁に登っているのを聞く。趣味ではやはりウェブサーバーの自宅立ち上げを皮切りに、レンタルサーバーへの移行、TwitterDeliciousFlickrYouTube、そしてTumblrな どのウェブサービスの利用が楽しかった。2008年から本格的に自宅サーバー立ち上げテストを行っていたのが、2009年に入って本格的に24時間運用を 開始した。パソコンの不調もあり、およそ半年で自宅サーバーを断念して、@niftyのホスティングサービスに移行したが、どちらにしても CMSWiki などのウェブ開発の表と裏2)を体験できたことや、運用することの難しさ3)を理解できたことは大きかった。趣味という点ではArduinoGainerと いうエレクトロニクス・ガジェットとブレッドボードによる電子工作の楽しさに触れたのも楽しかった。どうしてもプリント基板に目がいってしまいがちだった のが、ハードウェアもソフトウェアもプロトタイプのままリリースしてしまうという、ラピッドプロトタイピングからインプリメントという概念は、それまでの 自分の中の電子工作やヒューマン・インタラクションの考え方を変えさせてくれたいい機会だったように思う。 ...全文

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