« デイケア 20日目 | トップページ | デイケア 22日目 »

デイケア 21日目

 今日は気分がよくない。正直言って何をするのも面倒だし頭も痛いのだが、デイケアのミーティングルームで雑音と悪臭1)の 中で過ごすよりは、こうして昼下がりのグラウンドでMyloに向かってブログを書いているほうが余程マシだ。朝から頭痛があって朝食後には睡魔で朦朧とし たが、家の掃除を手伝ってコーヒーを一杯飲んだら少し落ち着いたのでデイケアに行った。頭痛は薬を飲むか飲まないかのギリギリの鈍痛で、心の中は曇ってい るような濁っているような風に感じている。感覚神経から脳へ入ってくる情報のほとんどが意味消失しており、したがってそれらを正しく判断したり取捨選択す る能力が低下しているのが自分でもわかる。わかるのにどうにもならない感覚、これは思考力低下状態だから当然なのだが、その状況を自分では処理することが できない苛立たしさから、次第に閉塞感に追いやられてしまうのであった。思い出すのはW・パウンドストーンの「パラドックス大全」に書いてあったウソつき族の寓話だ。あるいは、以前から自分の頭の中にある「愚者は自分が愚者であることを理解できるか?」という命題と同じかもしれない。さらに付け加えるなら、焦ると治らない病気でいる人に、期限付きの課題を与えることともよく似ている。むしろこちらの方が今の自分の感覚に対して最適化がかかっていると思う。

Flyingstone

 多分、昨日のデイケア行事の餅つき大会の疲れが出ているのだと思う。自分では感じなくてもいろいろと余計な神経を使って、自分勝手にストレスを溜めて自 滅しているのだ。数日経てば少しだけ元気になるだろう。でもなるべく冷静に自分の現状を考えてみると、時間の経過はトータルではプラスにならないんじゃな いかと思うようになってきていることに気付く。休息によって病気は快方に向かうかもしれない。だが社会的地位を維持することはできるのだろうか?自分が想 定している普通のサラリーマンで居続けることができるのだろうか?うつ病に は休息が大事なのかもしれないが、それは自分のアイデンティティが確保されている間に限られるか、自分自身でアイデンティティの見直しを図らねば前進しな いのではないか、と。社会を変えることは容易ではない。だったら、不適合な自分を社会に適合させる、というのは正しい道なのだろうか?最近うつ病治療に関する様々な憶測が飛び交っているが、果たして自分は正しく治療されているのかと、素人考えで悩んでしまうのも問題だ。そういう余地が与えられているということも、どうあのかと思ってしまう。あぁ、循環型閉回路思考…。 ...全文

|

« デイケア 20日目 | トップページ | デイケア 22日目 »

心と体」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/189978/47241791

この記事へのトラックバック一覧です: デイケア 21日目:

« デイケア 20日目 | トップページ | デイケア 22日目 »