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鬱病(27) 言い表せないこの感覚

Skeltoncross  病院を変えてから3週間毎の診察で薬が減ってきた。今年の春くらいから調子が良かったので、デパスが減って1日一回になった。頭痛もほとんど起きなくなったので、ランドセンがなくなった。しかしながら、焦燥感や疲弊感、ときどき押し寄せてくる混乱など、まだ症状が軽くなったという状態ではない。仕事はと言うと、ときどき実務的というか本来の技術的な作業をするのだが、完全にこなせる訳ではない。現状ではソフトウェア設計をするチャンスすらほとんどないので、プログラミング作業はおろか以前は夢中になって取り組んだハードウェア設計(回路・基板設計からVHDLや組み込みまで)も、きちんとこなせていない。焦るつもりは毛頭ないのだが、「以前の自分」が「現在の自分」と「未来の自分」に挑戦状を叩きつけているような、フツフツと沸いてくる技術者としての自分の将来への不安とか、家族のこととか、いろいろな不安や焦りが絶え間なく心に浮かんでは消えて、自分の立ち位置が定まらないような、そんな気分がするのである。過去の自分はこう言うのだ。「もう貴様の根性は枯渇したのか?貴様の能力はその程度か?」と。

 そう、少し考えれば判ってはいることなのだ。薬は減ってもあまり良くなっていないということが。確かに一時は病状が改善したかに思えて、自分でもいろいろとやりたいことができて、実際に手を出したりもした。でも、結局「負の感覚」が心に満ちてくる。いや、心が空虚(うつろ)になると言った方がいいかもしれない。不意に襲われる「浮き足立つような感覚」は、何かしら達成感を求めて行動したいのだが、何をしていいか判らず、そしてどうしてもその「何か」が何なのか判らず、手も足も出ない。ゴキブリホイホイに捕まったゴキブリよりも質が悪い。(少なくともゴキブリは逃げようとしているだろう。)なんとも言い表せないこの感覚を、他人にどうすれば判ってもらえるんだろうか?自分の語彙力が足りないだけなのだろうか?いっそのこと完全にキチガイになってしまえば楽なのではと思うこともあるが、そんな時は理性が残っている自分を呪いたくなる。こんなことを言ったら家族を泣かせることになってしまうか…。

 3ヶ月に一度の診察では、その時の気分によっては診察(問診=ただのおしゃべり?)で「いい患者」になってしまうようだ。妻が言うには自分が思っているほど症状はよくなっていないらしいのだが、なるほど診察から一週間が経過して、症状が回復しているなんて言えたもんじゃないね。このイヤな感覚は今までもずっと続いてきた気がする。ということは、過去の記憶が定かではなくて、苦痛体験を現在に活用できていないということか!こんなこと以前にもブログで書いた気がする。ってことは…、悪循環がずっと続いているということなのだろう。鬱病は簡単には治らない病気だと判ってはいても、正常でありたい自分というか「もう大丈夫」だと信じて止まない自分と、ストレスという怪光線を浴びてヨレヨレになっている自分と、どちらが本当の自分なのか判らないでいることが一番苦しい。だがもちろん現状の自分は確実に後者なのだ。わかってはいる。でもわかっていない。なんなんだ!

 先日、以前の勤め先のアクワイアが「天誅4」の開発を手掛けていることを知った。もちろん退職した自分には関係ないことなのだが、なんだかパンチを喰らったような強烈なショックを受けた。「オリジナルメンバー集結」みたいなことを書かれていたのも一因なのだが、それにも増してあの熾烈なゲーム開発の現場に自分が数年間身を置いて、しかもチームを率いてプログラムをガリガリ書いていたことが、にわかには信じられなくて、そして今の自分が情けなくて、心のやり場がなくて苦しい。やっぱり過去の自分に責め立てられているようだ。「もう俺は御仕舞いなのかい?」と。理性があるうちはまだ認めていないってことだよね…。

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