新川和江 「わたしを束ねないで」 より
私を束ねないで
あらせいとうの花のように
白い葱のように
たばねないでください 私は稲穂
秋 大地が胸を焦がす
見渡すかぎりの金色の稲穂
わたしを止めないで
標本箱の昆虫のように
高原からきた絵葉書のように
止めないでください わたしは羽ばたき
こやみなく空のひろさをかいさぐっている
目には見えないつばさの音
わたしを注がないで
日常性に薄められた牛乳のように
ぬるい酒のように
注がないでください わたしは海
夜 とほうもなく満ちてくる
苦い潮 ふちのない水
わたしを名付けないで
娘という名 妻という名
重々しい母という名でしつらえた座に
坐りきりにさせないでください わたしは風
りんごの木と
泉のありかを知っている風
わたしを区切らないで
,(コンマ) や .(ピリオド) いつくかの段落
そしておしまいに「さようなら」があったりする手紙のようには
こまめにけりをつけないでください わたしは終わりのない文章
川と同じに
はてしなく流れていく 拡がっていく 一行の詩
この詩については以前にも紹介したかもしれない。自分なりに率直に受け止めれば、個性あるひとりの女性の価値を、優しさと厳しさで訴えるような、あるいは叫びのような気持ちが伝わってくる。この詩の中には、いくつかの女性名詞が出てくる。「娘」を「息子」、「妻」を「夫」、「母」を「父」と読み替えたとしたらどうだろう。作者は女性の気持ちとして創作したのだから、詩中の比喩に若干の無理も生じるかもしれない。しかし、概ね男性としての意味でも受け取れると思う。
学歴や派閥、出身などで区別することは過去の話ではなく、今も厳然と社会に存在している。勉強や仕事に夢中になっている間に、自分の周りに檻やバリアができていたり、足枷が付いていたりしていないだろうか。世の中の波に押されて自分を見失い、自分らしく生きることを忘れて、そのことに甘んじていないだろうか。身分や肩書きなど、社会が勝手に決めた立場で、それを利用して他人を欺いたり、逆にそれに縛られて身動きが取れなくなっていないだろうか。そして最後に、そんな自分の生き方を簡単に諦めたり、「どうなってもいい」とか「しかたがない」なんて思っていないだろうか?「自分らしさ」とは何かを忘れてはいないだろうか?
ここ数年で景気が回復して就職率も上がっているようだが、ワーキングプワ、30~40代の鬱病の増加、ネットカフェ難民、人材派遣の問題などはまったく改善される兆候が見られない。一見良さそうでも、現代日本で容易に生きていくのはとても難しいのだと感じる。自分がそういった問題の当事者になるという可能性だってある。だからこそ、この詩のように自分を見失わないようにしなければならないと思う。幸運にも恵まれているのならば、そういった人達に自分ができる範囲でなんらかの施しをするといいだろう。それは単純に「お金」とか「ボランティア参加」とかじゃなくてもいいと思う。現実をよく学んで理解すること、会社や学校など身近な団体を通して社会貢献すること、何でもいいと思う。
一番悪いのは「見て見ぬふり」をする心そのものだと思うのだ。
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