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「でもなんか気になるって感じ~。」

Racter  最近の会話の中に、非常に便利な言葉があることに気が付いた。「でも」と「なんか」である。相手の話に相槌を打つ場合などに使う言葉だが、接続詞であるにもかかわらず、その関係が非常に曖昧なのである。状況によって、どのようにも受け取れるため、大変便利で簡単に口にしてしまうのだ。その度に、「あ、また『でも』って言っちゃったよ…。」と落胆するのであるが、それぞれの言葉について、回転しない脳を使って少し考察してみようと思う。


『でも』 について

 まず辞典で「でも」について調べてみた。「でも」とひとくちに言ってもいろいろな「でも」があることが判ったため、国語辞典だけでなく英和辞典の結果も併記してみる。

「でも」 大辞林 第二版より

[一]〔断定の助動詞「だ」の連用形「で」に係助詞「も」の付いたもの〕⇒だ(助動)
[二]〔格助詞「で」に係助詞「も」の付いたもの〕⇒で(格助)
[三]〔打ち消しの接続助詞「で」に係助詞「も」の付いたもの〕⇒で(接助)
[四]〔上に来る語の関係で「で」となった接続助詞「て」に係助詞「も」の付いたもの〕⇒ても(連語)

「でも」 エクシード和英辞典より

《それでも》 but; (and) yet; still;
《だって》 〔間〕 why;
《もまた》 also; as well;
《でさえ》 even;
《…とも》 even if ((it rains)); however ((hard it may be)); whether ((you like it or not)). 

 接続詞の「でも」と言われて、最初に考える言葉の関係は「前言の否定(打ち消し)」ではないだろうか? 国語辞典の[三]に相当するものだ。英和辞典の最初の訳も but となっているため、「それでも」や「しかし(ながら)」に言い換えても支障の無い「でも」だと言えよう。だが、実際に日常で使う場合はどうだろうか。主として否定的に使われるのは確かだが、(1)相手の意見を言い換えたり、(2)違った例を示すことで同意を表す、場合にも使われている様な気がする。

 A 「ここの店は美味しいね。」に対する応答例

 B1「でも値段が高いね。」《それでも》一般的な用法?
 B2「でも本当にいい店だね。」《もまた》(1)の用法
 B3「でも雑誌で紹介されてるね。」《だって》(2)の用法 

 んっ?「でも」の使い方って間違っていないのでは? 国語辞典から推測する接続詞としての意味というよりも、むしろ英和辞典における広範囲な「でも」の意味の方が一般化しているということなのか? 今までは「でも」を会話中に使うと、自分と相手の意見の相違を示すことになるから、あまり好まれないのではないか、と思っていた。しかし、現在の「でも」の否定的な意味は、元来のそれより希薄になっていて、「暗に相違があると思わせる」程度になっているのではないだろうか。そして、英語的「でも」の多様な使われ方と混成することで、「でも、…」がとても便利に使える接続詞になっているということだ。


『なんか』 について

 「なんか」は「なんだか」を省略した言葉であろう。近代になってから、語中の「だ」が助詞としての意味を失って「なんか」に変化したものと考えられる。おそらく関西地方では「なんか」ではなく「なんや」と言われているのではないだろうか。こちらも国語辞典で意味を確認してみた。

「なんだか(何だか)」 大辞林 第二版より

理由がなにかはわからないが。なぜか。何となく。なにやら。
「―心配になってきた」「―むしむしするね」 

 なるほど。「なんか」に続く言葉にあまり重要な意味はなく、(理由がわからないのだから)無意味で独り言と同じと考えてもいいのではないだろうか。むしろ、相手に向かって「なんか」をつけた無意味な言葉を発することは、相手の意見を尊重するどころか、無視して自分勝手に話をしているのと同じ事かもしれない。
 「なんか」を会話中に使う例は、テレビの街頭インタビューシーンですぐに目にすることができる。男女問わず、特に若い人からパパママ世代(40代?)までであろうか、大抵の人が「なんか」を連発する。だから、注意してインタビューされている人の言葉を聞いていると、「なんか」という響きの連呼が気になり出して笑ってしまう。結局何も意見を言っていないのと同じ事だ。あんまり「なんか、なんか、」と聞いていると、今度は逆に腹が立ってくる!

 「なんか」を会話に挟むことは、実はとても気楽なことなのだ。なぜなら、思ったことを何も気にせず言い放つことができる魔法の言葉だからだ。だって何度も言うように「なんか」に続く言葉には、理由もはっきりした意味もないのだから。ただし、その便利さが一歩進んで、相手の意思を暗に伺うような使われ方もあるため、ちょっと面倒になってくる。「なんかXXXだよね…。」と言って相手の反応を伺うのだが、無視されても否定されても肯定されても、特に問題ないのがこの場合の「なんか」の最大の特徴だ。肯定されればその会話は少し前進したり、時には発展して同意されたりもするが、無視あるいは否定された場合でもそれほど自分のダメージは大きくない。これは「XXX」の部分には、強い理由や意見を反映させている訳ではないが、わずかな希望もしくは同情を暗に含ませているからではないだろうか? はっきりと自分の意思を伝えなくてもいい、むしろ伝えたくない、少しだけでいいから理解して欲しい、そういう寂しい言葉になっていやしないか?

 言葉は時代と共にその意味を変えてきた。だから「でも」や「なんか」の意味も変化しているのかもしれない。ただし、ひとつの言葉でも状況や文脈によって異なる意味を持つということは、聞き手や読み手の想像力に任せるということにもなる。そのため、聞き手・読み手の能力が問われてしまう。しかし、「でも」に多様な意味を持たせたり、「なんか」に続く言葉に理由や意味を持たせない事で、その能力すら無用にしてしまってはいないか?
 特に「なんか」を多用するのは危険だ。この記事中に何度か登場した言葉に“暗に”があるが、素直に相手に意見をぶつけたり聞き出したりするのではなく、顔色を伺って様子を見たり、自分も相手も言語表現に対して鈍感になっていることを反映しているように思えてくる。言葉が便利になっていくのは、文明が発展していく上で自然な姿かもしれない。ただし、言葉から「意思の疎通 」を削り取ってはいけないと思う。それは、「言葉」本来の意味から逸脱しているのだから。

※こんなこと、自分が憂慮したところで何も変わらない。っていうよりむしろ、そんなこと考えなくていいと言われそうだが、少なくとも自分は「でも」も「なん(だ)か」も適切に使う努力はしたいなぁ。

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コメント

 脳が働く時は、こういう健常者(?)が読んでも、ちょっと難しいようなことも考えられるし、文章の推敲もできるんだよね。だけど、長時間は無理みたいだ。2~3時間も集中すると、熱が出てくるような感覚になって、少しだけクラクラする。だけど、思考できることが楽しい。正常な自分を認識できる時間だから。

 でも、記事を推敲してアップロードする作業と、会話したり別のことを考えることが平行してできない。それが今の自分なんだと、よく理解しておこう。

 母から物質的・精神的な援助をたくさんしてもらっているので助かる。
もちろん、うちの奥さんとはなっちも。

みんなありがとう。そしてごめんなさい。

投稿: Daisukeh | 2007/07/15 00:24

 ブログをアップロードすると、すぐにロボットが記事を回収しに来るようだ。例の visitalk のお陰で、誰が何時にサイトアクセスしているか判るからね。

 クローラーのロボット達は何でブログが更新されるのがわかるんだろう?まさか、世界の何十万というサイトをポーリングしているとも思えないのだが、RFCのプロトコルにそういうのあるのかな?それとも、アップロード時のPINGに他のクローラーも追従しているって事? 今度、アップロードするときにポート監視してみるかな。暇なことするよね(笑)

投稿: Daisukeh | 2007/07/15 00:36

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