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自己複製、複雑すぎる脳

 昨日は眠薬を飲んでから文章を書いたので、まったく何を言いたいのか判らない内容になってしまった。(いつものことだが…)頭がボーとして、結局肝心なことを書き忘れていたことに気が付いた。

Sinka  脊椎動物などの高等動物は脳細胞(=脳神経)のネットワーク(ニューラルネットワーク?)によって、ある部分では記憶したり、別の部分では思考や判断をしたり、体を動かしたり調整したり感覚を認識したりすることを、すべて頭の中の「脳」が行っている。そこに存在するのは「脳」を構成する細胞とそのネットワークだけだ。当然、そこに情報の伝達を行う化学物質の往来(セロトニンとかアドレナリンとか)やホルモンの分泌があるのだけど、たったそれだけの構造なのに、物凄く複雑なことができるのは何故なんだろう?(といっても医学、脳科学、生化学、計算機科学などで、必死にそのメカニズムを解明しようとしているのだが…)昨日書いたブログでも触れたけど、遺伝子だけが安全に自己複製して絶滅しないようにするだけなら、そんな複雑なメカニズムなんて必要ないんじゃないかな? 実際、下等動物(って言っていいのか分からないが)は、化学反応や物理現象によってのみ、移動したり捕食したりする。目だって耳だって、手足すら付いてない場合もあるのだから、神経(に相当するもの)だってろくなものではないだろう。ただしそういった生物は種としての数が膨大で、生殖機能が単純だったり、自己分裂することで「自己複製」には見事なまでに成功している。

 仮説として「種によってそれぞれ自己複製する数や時間が決まっている」と考えてみる。細菌やウィルスなどの微生物は、直接細胞分裂して、すばやく自己複製を繰り返すことで、絶滅しないようにできているんだと思う。ゆっくり細胞分裂してたら、その間に捕食されたりしてしまうから。個体が大きくなると、例えば魚や昆虫はたくさんの卵を産んで種の絶滅を防いでいる。必ず何割かは環境や捕食されることで死滅するが、ほんの一握りが生き残ることが確率で決まっているのか? いや、おそらく進化の過程で増えすぎず絶えることが無い確率で卵を産むことができる遺伝子が生き残ったんだろうな。さらに高等な動物、例えば鳥類や爬虫類なんかは卵の数が少ない上に、親がある程度面倒をみることで生存率を上げている。こちらも多様な条件で一定の数が死滅するが、生態系を崩さない範囲で生き残って、自己複製を続けていく。哺乳類になるともう卵を産むという危険な行為はせずに、直接胎内である程度まで成長させてしまい、生まれたらすぐ活動できるようになっている。それでも犬や猫が多産なのは、進化の過程で死滅する確率が高かったのかもしれない。ほとんど捕食されず天敵も少ない種は、一度に生まれる子供は1~2匹だ。
 じゃあ人間はどうだろうか? 人間には天敵はいない、というより生態系の外側に存在する生物になってしまっている。一般的には一度の出産で一人の子供を産む。ときどき双子が生まれたりするけど、それは確率の問題だろう。(そして遺伝子異常、奇形といったことも一定の確率として存在している。だから、そういう人々を差別することは完全な愚考だ!) 五つ子とかは人工授精のなせる技(というと、不妊治療している人に悪いけど)だから、ホモサピエンスとして自然な出産とは言えないかな? でも子供は子供、自分たちが生みたいと思って授かった子なのなら、理由なんか関係なく大事な存在になるはずだ。そうでない理由で生まれた子供が、最近ニュースに登場する機会が増えているのは大問題だ。

 またまた話がずれてしまった。論点を強引に戻すと『生命が遺伝子の自己複製を継続するために、生存する環境に合わせてあらゆる種の生物が存在している。』とするならば、人間だって同じ生物なのだから、なぜ自殺したり殺人を犯したりするのか? そうまでしないとしても、おかしな事ばかり考えたり、取るに足らないことに悩んだりするのは何故だろう? そこに生きる上で絶対不可欠な「社会」というものが存在するからなのか…? しかし人間に近いゴリラやオランウータンの社会は「力がすべて」で強いものが勝ち残り、その遺伝子が受け継がれていくし、オオカミやハイエナなんかは集団生活することで相互に助け合って生きている。極端な例だとアリやハチといった昆虫は、膨大な数の個体が集まって社会を作っているけど、女王を中心にした秩序ある社会になっているよね。
 人間は地球上の生物の中では比較にならないほどの高度な社会と文明を築いてきたにもかかわらず、その副産物として生命を受け継いでいくことが自然ではなくなっている気がする。それは社会や環境の問題であったり、文化や風潮であったりする。そして、いろいろなことが便利になったり自由になることで、「自己存在」することが重要になりすぎているように思う。言い換えるなら、「自分が大事、自分がかわいい、自分の思い通りの人生を送りたい…」そう考えるようになったからなのかもしれない。そういった自己中心的思考が、自分を何かに縛り付けたり閉じ込めたり、逆に他者を傷つけたりする原因になっているのだ。
 そして自分もその例に漏れず、自分の思考に追い詰められて、ある時に心が「プチッ」と破れて何か汚いものが流れ出したんだと思う。今もまだ少し流れているし、その「何か汚いもの」の始末の仕方がわからない。社会が悪いとかそういうことを言いたいんじゃなくて、なぜ人間はここまで複雑になる必要があったのか? そこに何か引っ掛かるもの感じるんだよなぁ。

※徒然なるままに…。

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心と体」カテゴリの記事

コメント

また考え込んでいるみたいですね。
前に人間が高等動物であるとされるのは何故かとあなたにお聞きした事を覚えていらっしゃいますか。
確か高度な文明と言われたように記憶しています。今回の論点としては「種の保存」、「人間が高等動物である所以と人間以外の生物との比較」、「文明と称されるものの在り方について」。またこれらの事を踏まえた上での人間社会の複雑化」と言う事でしょうか?
ちょっと整理した上で私も考えてみたいと思います。以上で間違いないですか?
纏まらない頭で考えるわけですから大した答えは期待しないで下さいネ。
では、しばしお時間を…

投稿: あまみのくろうさぎ | 2007/07/06 02:02

ただ今戻りました。

相変わらず、難しい事をお考えですね。
種の保存に関して人間と他の生物とではもはや比較する事は出来ないと考えます。繁殖と言う行為自体の意味も大きく違っている気がします。また、人間は繁殖以外の目的でも同様の行為をします。その際、自ら生命の誕生に手を加えています。本来の意味からすると逸脱した行為ではないでしょうか。
これを地球規模で見ても他の生物は地球という大きな社会の中に自分たちの小さな社会を形成し生きていますが、人間はそれとは異なっている気がします。Daisukehさんがおっしゃっていたように生態系の外側に位置し、それを人間は正しく認識・理解していない気がしてなりません。
人間が高等動物である所以は人によってまちまちであると考えますが、私は決して高等だなんて一度も感じた事がありませんね。寧ろおバカです。火を使うだの、この文明だの言われますが、それは全て人間に必要だからです。火を使わないと生きていけない身体の構造だから。自分の足で早く移動できないから乗り物を。自らの五感で必要な情報を得られないから…などなど全て必要だからです。
例えば、カメはこのコンクリートジャングルの中に放しても自力で水のある場所へ向かいます。今の文明が人間が生きて行く上で必要不可欠なものなのだと考えます。あくまでも人間だけにです。
他の生物は同種同士でけんかはしても致命傷になるような傷は与えません。(勢いあまってという間違いはあるかも知れませんが殆ど皆無でしょう。)
同種で殺しあうのは人間だけです。
人間が複雑に成らなければいけなかったのは、人間そのものが皆バラバラだからではないですか。人間は何かで雁字搦めに縛り付けないと纏まらない生き物ですから。
何だかよく解らなくなって来ました。
ごめんなさい。

投稿: あまみのくろうさぎ | 2007/07/06 17:02

あまみのくろうさぎさん、おはようございます。

 いつもながら、自分の拙い思想と文章に付き合っていただいて、本当にありがとうございます。
自分が書いている内容は、日常に思う「なんか変だな?」ってことを、少しだけ論理的・科学的に推論したらどうなるか?ってことの思考実験みたいなものです。おそらくこういう疑問に真剣に取り組んでいる研究者の方々もいるでしょうから、ここは素人の戯言として理解してほしいものです。あまみのくろうさぎさんも、自分の意味消失気味の内容に付き合っていただいて、本当に感謝しております。っというよりも、こういう話とか議論が好きだったりして…? (^。^)y-.。o○

 本論に戻ります。冒頭で仰っている通り、生殖行動(というより性行為)を文化・文明に仕立てたのは人間だけで、他の生物は生き残ること、すなわち繁殖行動にって強い遺伝子の自己複製を繰り返すことが目的になっている。人間はその模擬的な繁殖行動が文明や文化の一部として受け継がれたり、商売の道具になっていたりしますね。昭和初期の頃までの農村部では、夜這いという行為が黙認されていた、と聞いたことがあります。文明の発展期においては、高貴身分の主人には沢山の奥様がいたわけだし、今でもイスラム圏の国では一夫多妻ですね。例を挙げれば切りが無いですが、結局は人間の繁殖行動のほとんどすべてが「快楽の追求」や「富の象徴」を目的にしていて、残り数パーセントで種の保存を目的にしている、そんな風に思いました。

 自然界でもゴリラやオットセイなど一夫多妻の形態をとる生物はいますが、こちらは彼らが形成する社会の序列(社会ともいえるかな?)を維持することが主目的になっていて、その中で強いオスが独占してメスとの生殖行動を行う、いわばハーレムというのを形作っていますね。(人間でも金さえあればハーレムごっこはできそうですが、常識人としては認知されませんので、空想だけです。っていうか、空想だけでも問題です(笑)!)喧嘩に負けたオスは一生自分の遺伝子を残すチャンスがないことだってあるでしょう。選択的に強い遺伝子を持った個体が次世代に受け継がれて、種としての存続が維持されていくというのは、とても興味深いです。動物だけでなく、植物や微生物などの異なった種の存続作業であっても、それはある程度選択的に行われているのかもしれません。

 そこにきて人間は生態系に簡単に介入して、時には自分たちで養殖したり繁殖したり、栽培するといったことで自分たちの糧となる「生物」を支配している。イケスの魚も、牧場の牛も、田んぼの稲も、すべてではなくとも、食べられるために生まれてきた、絶体絶命の運命にあります。これが生態系の一部なら、お互いが持ちつ持たれつでバランスが取れるのでしょうが、一方的に人間が食べるだけですから、よく考えないといけません。普段食前には「いただきます。」食後には「ごちそうさまでした。」と言いますよね? これって、「(尊い命を私の命の糧にさせて)いただきます。」「(尊い命を捧げて下さってありがとうの意味を込めて)ごちそうさまでした。」と言っているのだと思うのです。生態系から逸脱し、しかも手を加えたり、自由に繁殖させているのですから、それらに感謝するのは当然でなくてはならない。そういう点で、人間は「食」の安定を求めて文明を築いてきた面もありますから、他の生物をコントロールできると言う意味では高等動物なのかなぁ、と思います。「食」だけでなく「衣」「住」も同様です。
 あまみのくろうさぎさんが、「火を使うだの…」と書かれていますが、確かに必要だから恐れていた火を何とかコントロールして生活を便利にしてきた、という原始時代からの続く事実に変わりはありません。だから、僕もほぼ同感ではあるのですが、原始時代よりもう少し前の原始人たちは、おそらく火というと火山か野火くらいで、熱くて怖い存在だったのでしょうね。でも、それが無くても生きていくことができたのでは?とも思います。(もちろん、そんな文明が連綿と現在まで続いていたら、こうやってブログなんか書いていなかったでしょうね(笑))自分が考える高等動物の所以に少し加筆するとしたら、「発明と推論ができる生物」なのかと思いました。火を使わないと生きていけない、それも事実ですが、火を使わなくても生きていた時代もありました。かつて原子力に関して知識のある人は、放射線が危険だのなんだのと、原始の火と同様に、手に負えないものだったんだともいます。やがてコントロールできるようになって、電気が使えるようになる。『知らなくても判らなくてもよい情報であれば、大多数の人間は「そのこと」に気が付く訳がありませんから、追い求めることすらできない。』と、何かのアニメの一節にこんなようなセリフがありました。

 生殖と同様、仰るとおり意味不明の戦争をして、人間同士が合法的に殺しあっているっていうのは、どう考えても悲しいことです。誰だって死ぬのは怖い。僕は「柘植久慶」さん(実際に外人部隊やグリーンベレー等で活躍した人物)の戦争小説が好きでハマっていたことがあったのですが、彼曰く「殺される前に殺す!」んだそうです。実はその考え方は論理的に正しいのだと思います。自分の命を守るために、それを奪おうとする者を排除するのは、その時に生きている人間の権利なのではないでしょうか。なんだか、戦争を肯定しているような話になってきてしまいましたが、要するに実際に戦っている軍人は、敵も見方も死にたくない。ただ、もっと高尚な人々(?)の喧嘩につき合わされているだけ、って気がしてしまいます。

 お返しコメントなのに、論点がづれっぱなしですね。申し訳ないです。でもひとついえるのは、多少の差異はあっても、あまみのくろうさぎさんと自分の考え方は、根本の部分では似ているような気がしますよ!

投稿: Daisukeh | 2007/07/07 05:03

Daisukehさん、恐らくかなり病気の方は回復していると感じますよ。あともう少しではないでしょうか。
これだけ自分の意見を纏められるのですから職場復帰しても十分やっていけると感じます。焦らずに、一日一日を大切にする事なのかな。
結局、人間には好奇心・探究心といったものがあるということですかね。でも、知らなくても良いことを知ってしまったがためにということもあるのかな?
「殺される前に殺せ!」
これはもはや戦争にだけ当てはまる事ではない気がします。現代社会で生きる私たちの身近なところで今まさにそれが必要となっていると思います。悲しい世の中です。
私は昨日もコメントを書いていて次第に混乱してしまい自分でも何を書いているのか解らなくなってしまいました。まだまだですね。
夏休み明けには職場復帰出来そうですか?
ではまた。

投稿: あまみのくろうさぎ | 2007/07/07 17:18

あまみのくろうさぎさん、こんにちわ。
ブログで書く内容は、自分でも少々固くて小難しくて、読む人を選んでしまうなぁといつも思っているのです。自分の言いたいことが本当に纏まっているかどうか、自己認識できていないのですが、最近になってようやく本当に休息を取るんだということに気が付いて、すこしダラダラしている次第です。職場復帰できる自信がつくまで、もう少し様子を見ようと思っています。

いつも真面目にコメントしていただいて本当にありがとうございます。あまみのくろうさぎさんも、あまり考えすぎないようにして下さいね(^_^;)
WindowsLiveSpaceの方には、このブログと違って馬鹿な話を書いてますので、笑ってやってください。

投稿: Daisukeh | 2007/07/08 11:57

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