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生命の定義、生きる力

 「生命」の定義ってなんだろう。Wikipediaでしらべたらこう書いてあった。

『生命(せいめい)とは、生物が生物として自己を維持、増殖、外界と隔離する活動の総称であるが、はっきりとした定義を与える事は難しい。またある意味では、自己複製を繰り返し、かつ変化しうる存在で有るとも考えられる。この場合細胞も、代謝でさえも必要では無く、既存の生物にとらわれる事無く生命の基本的性質を議論する事が可能になる。こういった文脈では生物は現生の地球上の生物に限定して使用されることもある。
 生命活動が不可逆に停止する事を死とするが、生殖において親~子への間で生命活動に断絶は無く、その意味で生命は停止せずに連続していると表現する事も出来る。』

 なんだか難しいけど、形態を問わず「自己複製できる物体」と考えてもそれほど間違ってないんじゃないかな。微生物は細胞分裂で自己複製するし、植物も動物も受精することで子孫を残している。動植物の場合は、種としての意味であり、同じ遺伝子を次世代に継続するという意味では、微生物と同じ様にDNAレベルで、複雑な過程を経て自己複製しているのかな…。ただし、同じ種であっても部分的に異なるDNAから自己複製されてしまうから、厳密には自己複製とはいえない。逆にそういった仕組みや突然変異のおかげで、選択的に勝ち残った遺伝子が今地球を構成している生命である、とも言えそうだ。

 むかし読んだ本(日経サイエンスかニュートンだったか?)に「生命とは遺伝子の乗物である」なんて書いてあった気がする。(正確には覚えてないけど。)別の視点で生命を眺めるてみると、構成しているすべての細胞には遺伝子があるのだから、その遺伝子が絶滅しないように、あらゆる手段(→生命の種が異なることで、環境などに合わせて適応する仕組み)で自分たちを守っているんだろう。そうなると、その遺伝子の乗物が生命なのだから、生命は遺伝子によってコントロールされている、と言えるんじゃないだろうか? 最近になって「利己的な遺伝子」なんて言葉を聴いた覚えがあるけど、まさにその通りなのかもしれない。そもそも、細胞を構成するミトコンドリアとかゴルジ体とか(よく知らないんだけど…)も、より強い細胞に寄生している、なんてことも何かに書いてあった。結構興味深い話だけど、難しくてこれ以上はウソっぽくなる(すでにウソっぽい)のでやめとこうっと。

 なんで、こんなこと思ったのだろうか? 人間も当然遺伝子でできた生命だ。手足も内臓も皮膚もすべて、脳だってそうだ。だけどちょっと不思議なことがある。脳を除くほかの細胞は多少壊れても自己修復(これも自己複製かな?)できる。脳だって同じようにある程度の自己修復ができる。それに、細胞自体がアポトーシスという、自己複製して次世代を生かすために死ぬことを繰り返しているのはなんでだろうか? あぁそれは細胞単体では生きていられる時間が短いからなのかもしれない。だから、簡単に細胞分裂で増えることができたり、沢山の細胞が集まってそれぞれが特殊な形態に変化しながら、生まれて死んで、また生まれて死んでを繰り返しているのかな。なるほど、そう考えると少し筋が通っているような気もするね。例えば、数えられないくらいの沢山の物体を眺めていて、ランダムにその一部が変化しても気が付かないのと同じことだ。全体として成立していれば、少し高等な生物なら「生命」として簡単に死ぬことはないのだろう。

 話は戻るけど、「脳」は他の細胞と違って、団結して遺伝子的な生命を維持するというよりも、その団結した細胞に「どうやって生き続けるか、または死すべきか」の指示を与える役割を持っているよね? たとえば脳死してしまった人は、しばらくの間は個々の細胞がまだ生きているおかげで、意識(=脳の活動)は消失しても、生命としての活動は続く。でもそのうちに脳からの指示が無くなって、ホルモンやら何やらのバランスが崩れて、すべての細胞が死んでしまう。「脳」は(自分が考えるに当たり)ある特別な能力を与えられた細胞なのかもしれない。脊椎動物でなくても、脳ではなく神経節などの、やはり体をコントロールする部分があるよね。ウィルスとか細菌とかにもあるのかな?

 鬱病で悩んだり、自傷行為に苦しんだり、先天的に正しい考え方ができない人の脳は、それぞれどんな風に指示を出しているのだろう。鬱病だって、アルツハイマーだって、癲癇だって、薬やリハビリ、訓練などのいろいろな治療方法で改善していく。人間の脳にはそういう力があるのだろう。心を病むことで自分を見つめなおす力、他人に自分を認めてほしいと考えて行動する力、記憶を取り戻そうとする力、そういった病気を治す薬を発明する力、リハビリや訓練の仕方を考える力、弱っている人の支えになる力…。
 自分には何ができるのだろうか。抑うつ症状の波があるのは仕方ない。そういう病気なのだから。でもその都度色々なことを考えてしまう。そして支えてくれる人々を困惑させ、迷惑をかけてしまう。これも「力」なのだろうが、明らかに「負の力」だ。誰かの支えになれる、そして社会に貢献できる「正(生)の力」を早く取り戻したい。その取り戻す方法は? 今はただ心落ち着かせて、それに悩むだけなのか…。

※乱文を御容赦ください。狂人の戯言です。

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