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運転における 「だろう」と「かもしれない」

Safedrive  先日うちの奥さんの自動車免許の更新に付き合って、幕張の運転免許センターに行った。自分は特に用事がなかったので、携帯電話で遊んだり、外でタバコを吸ったり、ぶらぶらして時間を潰していた。他の免許センターがどうなっているのか知らないのだが、ここの免許センターには、視力測定をする場所に並んで列を作る場所(免許の更新で一番待たされるイヤな場所)に、数台のテレビが懸架してある。そのディスプレイ上では、免許更新手順の説明を中心に、交通事故の再現ビデオを使った交通安全を呼びかけるビデオが流されていた。

 この交通安全の啓蒙ビデオなのであるが、その最後に『「~だろう運転」ではなく「~かもしれない運転」をこころがけよう!』みたいなメッセージが流れる。なるほど、「大丈夫だろう」と思って運転するのではなく、「危険かもしれない」と思って運転するのか…、その通りだな! っと一瞬納得しかけたのだが、「だろう」と「かもしれない」は、ほとんど同じ意味の言葉なのではないか?という疑問が湧いてきた。早速、辞書を引いてみると、次のような意味だった。

だろう』(大辞林 第二版より)

〔断定の助動詞「だ」の未然形「だろ」に推量の助動詞「う」の付いたもの〕
→体言およびそれに準ずるもの、副詞、動詞・形容詞および一部の助動詞の終止形に接続する。

(1)話し手の推量や想像などを表す。 (「今夜は冷えこむ―う」)
(2)疑問詞や終助詞「か」を伴って、疑問や反語の意を表す。 (「到着するのは何時ごろ―う」)
(3)仮想の事柄であることを表す。 (「彼のことだ。立派にやりとげる―うことはまちがいない」)
(4)(「だろうに」の形で)事実に反する仮想を述べる。 (「もう少しがんばれば、何とかなった―うに」)
(5)(多く上昇調のイントネーションを伴って)相手に対して、念を押したり同意を求めたりする気持ちを表す。 (「今になってそんな事を言ったら、僕が困る。君だって男―う」)

〔(1)現代語では、助動詞「う・よう」がもっぱら意志を表す用法に限られてきているのに対して、「だろう」は推量を表す言い方として一般に用いられる。(2)助動詞「だ」は体言に接続するだけで、活用語に付かないのに対して、「だろう」は体言にも活用語にも接続する。(3)「だろう」は、右のように、独自の意味・用法をもつに至っているので、これを一語の助動詞として扱う立場もある。(4)「だろう」の成立は近世江戸語においてである〕 

かもしれない』(大辞林 第二版より)

〔副助詞「か」に係助詞「も」の付いた「かも」に、動詞「知れる」の未然形「知れ」、助動詞「ない」の連なったもの。近世以降の語。「かも知れ=ぬ(=ん)」「かも知れません」などの形でも用いられる〕
→可能性はあるが、不確実である意を表す。 (「雨が降る―ない」) 

 個人的には意外な結果であった。まず、「だろう」と「かもしれない」が使われていた時代が異なるということだ。「だろう」は古くから使われていたが、近世(江戸時代)になって用法に変化が現れている。一方の「かもしれない」は、言葉自体が近世に作られたものだということだ。そして、「だろう」にはさまざまな使い方があるということである。

 こと今回は『交通安全』ということを念頭に置くと、「可能性はあるが不確実である意」の『かもしれない』は、「かも」単独でも疑問や反意を表現しており、それに続く動詞「知れる」が含まれていること、またその語感から注意喚起的印象をうけるため、「飛び出してくるかもしれない。」といった使い方をすれば、ある種の説得力があるように感じ取れる。

 一方の『だろう』は、この場合どの意味で使うのが正しいのだろうか? とりあえず、「(5)同意を求める気持ち」は明らかに異なっている。ひとりで運転しているのに、「直進できるだろう?」って、誰に問いかけることになるのか?(カーナビが相手?) 次に、「(2)疑問や反語の意」では、助詞「か」を伴ってとあるので、意味的には近いような気もするが、これも除外することとする。そうなると、「(1)推量や想像」の意味で『だろう』を使うことが(この場合は)正しいのだろうか?
 そうではないと考える。「かもしれない」を強調するために、この場合の「だろう」には、「(3)の仮想の事柄」や「(4)事実に反する仮想」の用法を適用すべきだろう。その意味で「直進できるだろう。」と言うと、すでに仮想的なのだから事実を無視していることになり、危険極まりない。「俺は世界を征服するだろう。」みたいで、とても自分勝手に聞こえる。

「だろう」  仮想の事柄、事実に反する仮想
「かもしれない」  可能性はあるが不確実な意

 以上で、「だろう」と「かもしれない」についての考察が終わった。「だろう」に対して悪意を持った用法とすることで、「かもしれない」の正当性を、より際立たせているということが判った。交通事故は「起こらないだろう」、「起こさないだろう」と考えるのは身勝手な発想だ。「起きかもしれない」、「起こしてしまかもしれない」と思って、運転しなければならない。



 さて、ここまで来て何か気づいた点があるのではなかろうか? それは、「だろう」も「かもしれない」も、その前にある語句を修飾しているに過ぎないということである。前記の「起こらないだろう」を「起こだろう」、「起きかもしれない」を「おきないかもしれない」と、それぞれ言い換えてみる。「だろう」も「かもしれない」も互いに「仮想」「不確実」な意味を持っている点で共通しているし、「だろう」を「(1)推量や想像」の意味で用いたとすれば、どちらを使っても問題ないのではないだろうか?

 僕は国語に詳しくないし、むしろ語彙が少なくて拙い文章しかかけないのであるが、今回の考察を見てみると、「だろう」と「かもしれない」の使い分けは、とても難しいのではないだろうか? 冒頭の『「~だろう運転」ではなく「~かもしれない運転」をこころがけよう!』は、交通安全のスローガンとしてはとても重要だ。だが、『「~かもしれない運転」ではなく「~だろう運転」をこころがけよう!』と言われても、それほど抵抗無く納得してしまうだろう。むしろ、『「いいだろう運転」ではなく「だめかもしれない運転」をこころがけよう!』 くらい言ってしまった方がいいんじゃないだろうか?

どちらにしても、交通安全を守って運転しましょう。

※ちなみに、運転のプロの方は、『事故を起こした人は、「~だろう」とも、「~かもしれない」ともかんがえていないのではないでしょうか。』 と仰っている。とても参考になったので、こちらのブログ『安全運転は「愛」だ!』を参照されたい。

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