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鬱病(17) 「ともに生きる」ということ

カタツムリの行軍  昨日の『ETVワイド・ともに生きる(NHK教育)』を録画で見た。テーマが「30代の“うつ”」ということで、まさに自分の特集だと言っても過言ではないだろう。普段はテレビをほとんど見ない。かろうじて昼食時に「ピンポン!」を横目で見て嘲笑する程度である。以前は、夕飯の時にニュースをザッピングして見ていたが、辛く苦しいニュースと訳のわからない特集とがゴチャ混ぜで、それに食事と会話が重なって、とてもストレスだと判ったからである。最近の夕飯は、夕刊を二人で斜め読みしながら、記事の内容やその日の出来事、料理や体調についておしゃべりしながら、である。テレビがないだけで、とても楽に食事ができるようになった。
 鬱病には日内変動というのがあって、朝方が最もつらくて夕方になると少し元気になる、という症状が一般的である。自分も1~2ヶ月前までは、そういう段階にあったように記憶している。しかしながら、現在は朝昼に横になったり寝ることもなく、普通に1日を過ごせるのだが、夕方になると意味もなく不安感に襲われて、空腹なのに食べ物が喉を通りにくくなる。それでも、なんとか食事して(ときどきウォーキングして)風呂に入ると、少し復活するという状態だ。

 そのNHKの番組『ともに生きる』なのであるが、紹介される事例やコメンテーターのアドバイス、企業の取り組みなどなど、内容すべてに共感を持てた。現在鬱病の人と復帰段階の人、寛解した人などの経験談を聞いていると、まるで自分の頭の中というかブログを読んでいるような、自分の影法師なんじゃないかと思えるような、不思議な“並列感”があった。「みんな同じ」という感覚をより強めたような、ある種の連帯感である。
 これを逆説的に考えるてみると、同じ症状なのだから、自分に最適な治療と努力(?)をすれば寛解する、ということだ。『闇夜は必ず明ける』のだ! 昨日書いたブログも、内容は暗いが進歩していることを書いたつもりだ。だから、治ると信じて治す! 社会で生きる「一(いち)人間」として、小さな歯車でいればいいじゃないか。そう思えたら、また少し前進できた。「ともに生きる」とはそういうことなのかな?「ともに」とは、自分自身、心を支えてくれる人々やペット、体を支えてくれる命ある尊い生き物すべて、と解釈しよう。そして、それらとともに生きる義務があるんだ…。

生まれたてのセミ  職場復帰に本腰を入れて取り組もう。今までだって何度もそう思っては挫折したけれど、今回はなんとなく順調に進む予感がするのだ。自分の中で何かの回路が動き出したような気がするから…。だから、正しい順番で、正しい時間に、今こそ焦らずゆっくりと「心のスイッチ」を操作してみよう。そして、「以前の自分」よりも「進歩した自分」を取り戻そう。そうしよう!

【※1】写真は本文内容と脈絡がありませんが、彼らもまた「ともに生きる」仲間です。

【※2】あまみのくろうさぎさんへ…
 「みんな同じ」です。特別な人は誰一人いません。人によってタイミングとかシチュエーションが違うだけなんです。だから、あまり自分を卑下したり過小評価しないでください。鬱に悩んだ先輩達は、みんな普通の人達です。それから、自分は悲観的な考えを捨てて、もっともっと楽観的になろうと思います。その方が「楽チン」ですよね?

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コメント

私が細川貂々さんのように明るく振舞えたら、と思いました。私も昨日までの自分とはさよならしたいと思います。といっても、私は時々沈みモードに陥ってしまうかもしれないけど。あなたもくれぐれも飛ばし過ぎないようにね。共に生きるパートナーとして仲良く一歩一歩進んでいけたら、と願いつつ。

投稿: めぐみ | 2007/07/23 13:16

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