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鬱病(16) 大海の一滴

 少しずつ症状が改善してきている気がする。毎日が一喜一憂ではあるが、それでも何か改善できることがあるんじゃないか、これをやったら改善したから続けよう、とか…。本当に少しずつ前進している。

Depression

 思えば、ある時期から物事を考えるだけじゃなくて、空想したり論理性を確認したり、思考実験なんかを繰り返すうちに、その中の鬱屈した考えが、頭の中にこびりつくようになったんだと思う。その垢が積もってやがて見過ごせないほどに大きくなって、脳から溢れて体中にばらまかれてしまった。
 「堪忍袋の尾が切れる」ってことわざがあるけど、鬱病であれば「ストレスバケツをひっくり返す」という表現が妥当だろう。それは、ヘドロの入っているバケツを頭でひっくり返してしまった、そういう感覚だ。ひっくり返した瞬間は、自分がどうなったのか茫然自失でわからなくなる。そのあと、ヘドロを洗い流そうとするのだが、なかなかきれいにならないし、どの洗剤(=薬)を使えばいいのかわからない。それでも、ゴシゴシ洗えば少しずつヘドロが無くなっていくのだが、見た目がきれいでも今度は臭いがとれない。さらに、臭いが消えてもヘドロの感触が残っている。その感触をも拭い去ることができたとしても、そのときには別のバケツにヘドロが汲み置いてあるのが見える…。

Sky まさしく、鬱屈思考の悪循環である。ただし、その循環は三次元で、竜巻や渦潮のように回転しながら、上もしくは下へ移動するのだ。どんどん上へ行けば、ある高さでその循環から「スポッ」と抜け出す。核の連鎖反応のように、エネルギーが満ちてくるのだ。逆に下へ落ちていくと、生死の決断を迫られることになる。自分自身で、自分の尊厳を裁き、自分を否定して、自分を見捨てるのだ。
 この上下運動と循環を繰り返して、鬱から脱出するのだ。出口は上か下かにしかない。どちらも、それぞれの意味で楽になることができる。今、自分は上の方で加速して、飛び出る直前なんだと信じたい。だから、毎日のように変化があるのだ。以前のように、24時間ずっと調子が悪いというわけではないんだ。

 世間の嫌なことすべて、身近な嫌なことすべてが自分のストレスになっている。誰だってそうだよね。でも、そのストレスが本当に自分に必要なストレスなのか考えてみた。世間の嫌なことは、目を瞑って耳を塞いで鼻を摘めばいい。情報はすべて知っている必要はないのだ。知らないものは探さないし考えない。それでいいじゃんか。身近な嫌なことだってそうだ。全部を自分で背負い込む必要はないんだよね。必要か不要か、その判断だってもっと曖昧でいい。論理的かどうかは、遊びで考えればいいよ。
 所詮、自分以外の心の内を知ることなんかできないから。自分の心だって、時々わからないことがあったじゃないか。他人なら親兄弟でも、わかるはずがない。それが大前提だ。自分の思い通りになんか、人が動くわけがない。だから、世間が良くなるわけもない。世の中なんて、有象無象の塊だ。例外は存在しない。自分も同じ、大海の一滴に過ぎないのさ。一人で落ち込んだって騒いだって、何の意味もないんだ。意味を持つのは、特別の才能と運だけ。努力しても、特別な何かを持っている人には、到底かなわない。それでも、努力しないよりしたほうがいいし、努力っていう行為、プロセスを大事したいなぁ。

 もっと楽に…、全部わかっているつもりだ。だけど、まだその感覚を飲み込めない。口の中で苦い思いをしているだけだ。でも、何が苦いか、どれくらい苦いか判ってきたんだから、これは大きな進歩だ。躍進といってもいい。もう少しだ。心のジグソーパズルが完成する見通しが着きそうだ。

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コメント

あなたがそういう心持ちになってくれてほっとしています。この頃は私の方が発症してしまうぐらい心身がダウンしてしまいそうでした。このブログを読んで、私も復活できそう!

投稿: めぐみ | 2007/07/23 13:00

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