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思考の遷移図

 「思考の遷移図」とはいったい何だろうか?このブログのタイトルにもなっているのだが、その意味を再確認してみたい。

まず、「思考」を辞典で調べてみた。

(1) 考えること。また、その考え。
「誤った―」「余は―す、故に余は存在す/吾輩は猫である(漱石)」
(2) 〔哲〕〔thinking〕意志・感覚・感情・直観などと区別される人間の知的作用の総称。物事の表象を分析して整理し、あるいはこれを結合して新たな表象を得ること。狭義には概念・判断・推理の作用による合理的・抽象的な形式の把握をさす。思惟。〔明治期につくられた語〕

そして、「遷移」も辞典で調べた。
(1) うつりかわること。うつりかわり。推移。
(2) ある場所の植物群落が長年月の間に次第に別の群落に変わってゆくこと。裸地に一つの群落が成立するとその場所の環境条件を変化させ、それに適合した別の植物群が生育するようになるために起きる。
(3) 量子力学で、粒子があるエネルギーの定常状態からエネルギーの異なる他の定常状態へ移ること。転移。 

「遷移図」では検索できなかったので、「図」についても調べた。
(1) 絵。絵画。
(2) 地図。図面。
「地形―」「設計―」
(3) 〔数〕 点・線・面からなる形。図形。
(4) ねらいどころ。よい機会。
「此―を外さず甲鉄艦を撃沈めよと/近世紀聞(延房)」
(5) たくらみ。計画。企図。
「有りやうは九郎兵衛を下へくだした跡での事と思ふたが―へいかぬ/浄瑠璃・夏祭」
(6) 様子。光景。
「嶋原の門口につゐに見ぬ―なる事あり/浮世草子・一代女 2」
(7) 雅楽で、音律の標準となる調子を書き表したもの。
「当寺の楽はよく―をしらべあはせて/徒然 220」

 つまり、「思考の遷移図」の意図する正確な意味は、「意志・感覚・感情・直観などの知的作用とそこから導出される表象の推移を表現するための図形」ということになる。何だか言葉が非常に硬いのだが、つまりはそういう意味なのだ。計算機科学の世界では遷移図というと、状態遷移図としてよく用いられる。ペトリネットや、UMLのステート図、広義にはフローチャートも遷移図として考えてもいいと思う。「思考の遷移図」というのは「自分の思惑が時空の変化の中でどう移り変わるか?」をブログというメディア(=図形)で表現しようという試みである。
 なぜ、わざわざ「思考の遷移図」について小難しい説明をしたのかというと、最近の自分の考え方の方向性が全く見えないからである。以前は、新しい技術に興味を持ったり、勉強してみたり、家事を手伝ってみたりした。今も、そういったことをしていない訳ではないが、果たしてそれが将来につながる遷移条件となり得るのだろうか?という疑問を持ってしまうのである。(これは、典型的な抑うつ症状で、一旦病状が改善したかのように見えて、再び悪化することを繰り返す、鬱病独特の気分なのかもしれない。)遷移を期待する以上、その条件が存在するはずだ。それは無条件の場合もあるだろうし、あるいは確率の問題かもしれないが、大抵の場合は自らの努力によって遷移するのだと考えたい。

 人間は生きている以上、思考を停止することはできない。(特殊な訓練をすれば可能なのだろうが…。)だからこそ、様々な情報を知覚しては取捨選択し、自分の中に取り込んだり、逆に情報を発信したりするのだ。この事象を大きく捉えるとすれば、仕事をすること、生活すること、すなわち社会生活を営むことは、思考することだと言える。人間が止める事ができない「思考」というものを、どのように捕らえなければならないのか?止める事ができないと知れば、「より正確に」「より安全に」「より確実に」したいと思うのが当然であろう。だが、現代はそれに逆行しているように思えてならない。つまり、人々は思考しているようで、実は思考を停止しようと努力しているのだ。
 少なくとも、自分は思考の方向性を見極めたいのかもしれない。「そんなことブッダでもない限り無理だね。」といわれそうだが、確かにそうだろう。でも、自分の考え方が正しいか間違っているかぐらいは、客観的に捕らえていたいものだ。そして、そのベクトルがどちらを向いているかで、今後の自分の生きる道(それが試練であれ幸運であれ)が開かれていくはずだ。だが、「思考の考察」ほど馬鹿なことはないのかもしれない。でも、そうしないと不安な自分がいるのだ。自分の存在を確認したいのだ。そもそも仏典には「知識は不要」と説いている。意味不明の知識を詰め込んでも、人生には何の得にもならず、むしろ時間の浪費なのだ、ということだ。反駁させてもらえるなら、より良い人生を営むために、より良い知識を得ることは無駄とは言えないし、知識を得るためには思考作業が必要なのではないのだろうか?

 こういう他人が読んでも訳の分からない考えを持つこと自体、まだまだ鬱症状から抜け出せていないのかもしれないのだが。

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コメント

あれ~、今送ったのにエラーかな?もう一度送ります。しつこいかな。
面白いブログですね。「現代はそれに逆行しているように思えてならない。つまり、人々は思考しているようで、実は思考を停止しようと努力しているのだ」私はむしろ、思考出来ないのだと考えます。努力して思考しないのではなく、そもそも出来ないから思考しない。何てね!
最近はお仕事は如何ですか?楽しんでいますか?
あなたがエンジニアという事もあって、これからもブログを拝見させて頂きたく思います。時にはコメントなども送ったりしますが、迷惑でしたら言ってくださいね。

投稿: あまみのくろうさぎ。 | 2007/06/07 20:08

 コメントありがとうございます。ちゃんと届いてますよ~。

 「思考を停止」ではなく「思考が不能」ということでしょうか?僕も本意ではその通りだと思っているんですが、少なくとも「思考は可能なのだ」と、前向きに考えたいなぁ、なんて思ってしまいました。

 あまみのくろうさぎさんはロボット屋さんなんですね。僕は昔ゲームプログラマ、今はPLCと組み合わせるパソコンアプリやマイコンで組み込み系をやったりしています。といっても、4ヶ月前に鬱病になってしまい、だいぶ回復しているのですが、まだ仕事に復帰できていない状態なんです。

 だから、何だかややこしい考えを書き散らかしていますが、勘弁してくださいね。迷惑だなんてとんでもありません!僕もブログ拝見させていただきますね。

投稿: Daisukeh | 2007/06/07 20:27

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