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鬱病(9) メタ思考

 人間は完全に思考を停止することはできないと聞いたことがある。起きている時は、外からの沢山の情報を取捨選択して、次の行動を決めなければいけない。眠っている時は、無意識に何かを考えているから夢をみる。これは自説なのだが、覚醒した時に覚えている『映像』が『夢』と呼ばれている(普通「昨日、夢を見た」と表現する)だけであって、無意識の中でアイディアが生まれたり、感情が変化することもあるのだろう。実際、目が覚めたら問題の解決策が見えてきたとか、今日は何だか目覚めが悪いとか、そういうことはよくある。

 自分はよく『思考』を思考していると感じることがある。何だかよくわからないが「メタ思考」とでも言うべきか、考えることのプリミティブな要素が何かを探していると言ったらいいのかもしれない。だから、最初に考えるのは、ある事象や意見について、原因や条件は何か、根拠があるのか、論理的なのか、基本的な部分に問題点があるのではないか、モラル・常識に照らし合わたら?…と、とにかく色々なことを考てしまう。(実際には天才じゃないから考えうるすべての事柄が出てくるわけじゃないが…。)そうしてから、自分なりに出てきた原因・条件・根拠を吟味しながら取捨選択して、事象なり意見なりを『評価』することにしている。(こういうのが癖になった。)ただし、そういった『思考の思考』と『評価』も思考の材料となるから、この作業が永遠に続くことになる。これは「カルマ(業)の法則」と似ているところがあると思う。

 なんでもかんでもというわけではないけれど、自分がいつもこんな調子なものだから、うちの奥さんは辟易しているのだろう。そこにきて、上記したような「メタ思考」論についてや、他にも社会・政治・科学などの話題について持論を展開したり、逆に意見を求めたりするものだから、最後には彼女が感情的になって怒ったり落ち込んだりしてしまう。そして、自分は犯してしまったその行為に後悔するのだ。「なぜ自分は相手を追い詰めてしまうんだろう?そんなつもりは微塵も無いし、ましてや相手を馬鹿にしているのでもない。ただ自分の意見を聞いてもらって、相手の意見や感想を聞きたいだけなのに…。」自分の話し方が悪いのだろうか? 声や表情が悪いのか? 相手の何かが悪いのか? そもそも、こうやって原因を探ろうとすることが良くないのかもしれない。こんな状態が以前は少し収まっていたものの、この頃再び強くなってきた気がするのだ。

 自分は若い頃(と言っても一昔前くらい)には、ロクにできもしないのに「他者を論破する!(議論には必ず打ち勝つ)」と、息巻いていた。もちろん誰それ構わず議論を吹っかけたりする訳ではないが、大学生の頃に楽しく議論ができる友人がひとりいて(その人は大学院に進んだのだが)、夜までいろいろな議論をしたものだ。ほとんどの場合、自分と相手で意見は異なっていた。でも、それを互いの論理で説き伏せていくのだ。いろんな戦法もあって、一度相手の意見に納得してから反駁したり、徹底的に問題点を突いたり…。レストルームなんかでタバコを吸いつつ、夕焼けを見ながらディベートを白熱させていた。だが不思議なことに、議論の末に喧嘩に発展することは一度も無かったし、もちろん険悪になることもなかった。お互いの論理の是非・真偽・正誤を論理的に明確にすることで、自分や相手の正しさと間違いを素直に認めることができたからだ。

 「自分は鬱病である」というのはこれまで随分このブログ上でカミングアウトしてきた。先日の内容と重複するかもしれないのだが、以前は焦燥感と自責念慮が最大の悩みであった。(もちろん頭痛・倦怠感・不眠などの肉体症状もあった)しかしここにきて、自分の症状に変化が起こりつつあるように感じる。それは焦燥感と自責念慮がほとんど消えたことである。「このままではまずい…。」「自分がこうならなければ…。」こういった考えは、家族はもちろん会社にも本当によく気を使ってもらったおかげで、回復したのだと思う。
 だがしかし、もうひとつ悪い症状の変化があるのだ。それは「自己脅迫的論理思考」とでも呼べばいいのか、自分自身の思考の正しさに根拠を求めたり、どんな小さな事象・意見であってもその本質が何か疑念を持ったり、そういったことを他者にも求めてしまうことである。他人にはうまく説明できないのだが、とにかく「真実の論理の探求」を、四六時中している自分がいるのである! 性質が悪いことに、他者にも意見を求めるときには、同意意見ではなくて自分とは異なる視点の意見を期待してしまうのである。(むしろ同意されると腹が立つ!)だから、マスメディアの報じる大勢意見などは、当たり前すぎて取るに足らないものに感じる。時にはそれが間違っていることさえあるというのに…。自分で考えようともしない、大勢意見に無条件に賛同する人々があまりに多すぎる。少なくとも自分自身が考えて達した結論ならば、失敗したって悔いが残らないだろうに。そうでない人々は再び大勢の被害妄想の中でもがくことになり、それを繰り返し続けている。

 今日はハルシオン×2錠で朝まで眠りたかったのだが、1時半には目が覚めてこの文章を書いている。今の自分がわからない。またヒタヒタと「希死念慮」が背後から近づいてきているのがわかるから…。「楽」ってなんだ?「一切皆苦」の「苦」は「楽」の反意語ではないらしいが、「涅槃寂静」は「楽」を意味しているわけだから、早く涅槃してもいいのかな?

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心と体」カテゴリの記事

コメント

「なぜ自分は相手を追い詰めてしまうんだろう?そんなつもりは微塵も無いし、ましてや相手を馬鹿にしているのでもない」
私も似たような経験があります。友人や同僚と話しをしていても「説教されている気分」、「怒られているみたい」と言った感情を相手に持たせてしまうようです。実際に傍から見てもそう見えるらしいです。そんなつもりは全く無いのですが…

うつ病は治りかけが一番危ないと言われます。精神的にも肉体的にもパワーがあって何かのきっかけで突然と言う事があるそうです。
早く涅槃してもいいのか?
私も人生を途中下車したいなと考えています
。それ以外に本当に楽になる事は出来ないと考えます。良いか悪いか、実行するかしないかは別ですが。頭の中では常にそんな事を考えて詰まらない毎日を惰性で生きています。全く無意味な事(こうして生きている事が)をしていると私は考えています。
この肉体があるから苦しいのだと考え放棄したいです。

コメントを書いたはいいですがあなたの求めている答えになっていませんね。
病院へは二週間に一回ですか?
後もう少しの辛抱と言うところまで来ていると思いますから穏やかな日々を過ごしてください。

投稿: | 2007/06/28 12:19

ウィルスに感染したのですか?
酷い事しますね。
そういう事を平気で出来る神経が理解できない。しかも、こそこそと隠れて自分は安全なところからの高みの見物!
2チャンネルなんかも似たようなものですよね。人様を悪口の様な記事を投稿するだけしておいて自分は蚊帳の外ですからね。

話しは変わりますが、名前とアドレスの入力時にNum Lockの切り替えが必要になったのですね。今気がつきました。

如何でしょうか?
気分は?
私の方も職探しが難航していて病気以外に頭の痛いことが多すぎる今日この頃です。
PCの前に座っているのも短時間、後は横になっている事が多いです。日光のサルにもなれないし…

投稿: あまみのくろうさぎ | 2007/06/28 20:15

あまみのくろうさぎさん、こんばんは。

酷い事しますね。
そういう事を平気で出来る神経が理解できない。しかも、こそこそと隠れて自分は安全なところからの高みの見物!
2チャンネルなんかも似たようなものですよね。人様を悪口の様な記事を投稿するだけしておいて自分は蚊帳の外ですからね。

 このコメントは、自分に対してのものと受け取っていいのでしょうか? それとも無名さんに対してでしょうか? 正直なところ無名さんのコメントは、自分自身が書いたコメントなんじゃないかと錯覚するほど、図星というか感覚が似ているので、少し怖いのと同時に仲間(先輩?)がいるという安心感が沸いてくるのです。「自分と同様の病気で悩んでいる(いた)人がいる」という連帯感とでもいうのでしょうか? 仮にこのコメントが悪戯目的だとしても、こういった内容ですから、面白がって書かれたとは思えないのです。

 診察は二週間に一度のペースで心療内科に通っています。その時の経過に応じて薬が増えたり変わったりを繰り返しています。抑うつ気分よりもイライラ気分が強くなってきているので、デプロメールの量が増えてきました。でも、精神薬って生理的・病理的な効果は当然あるのでしょうけど、回復するための補助的なものであって、やっぱり自分を変えていかないとダメなんでしょうね。(そうじゃない精神病もありますが…。)

 自分も最近こそパソコンに向かって何やら作業していますが、少し疲れるとやっぱり横になっている始末です。やっと少し気分も良くなってきたからブログも再開したというのに、また悪い方向へ進んでいるような気がしています。

無名さんへ。

>この肉体があるから苦しいのだと考え放棄したいです。
>コメントを書いたはいいですがあなたの求めている答えになっていませんね

 肉体あっての苦しみ、ですか…。生命である以上は体と心は切り離せないですよね。「涅槃」なんて言葉を使ってしまいましたが、自分自身はまだ「生きる」ことを実感してその意味を考えてみたいです。だから、僕も提言みたいな書き方でしたが、今の自分には答えが無いのかもしれません。
 自分はオカルトチックな話は大嫌い(非物理的・非論理的なことを、さも現実であり実存するかのように扱っているから)なのですが、体と心が分離できたら面白いでしょうね。もちろん元に戻ることが大前提ですよ!

投稿: Daisukeh | 2007/06/29 02:21

「このコメントは、自分に対してのものと受け取っていいのでしょうか? それとも無名さんに対してでしょうか?」
誰かにウィルスを感染させられたのではないのですか?その相手が何処の誰だか解らない。そんな事を記事にしていませんでしたっけ?私の勘違いかな~????
失礼しました。
あっ、それから無名さんは私ですから…
入力したつもりだったんですが…
重ねて失礼致しました。
オカルトの事は解りませんが、幽体離脱の事なのでしょうか?

投稿: あまみのくろうさぎ | 2007/06/29 02:50

 あ、それともう一言二言書き忘れてしまいました。

 日光東照宮( http://www.toshogu-koyoen.com/toshogu/ )の神厩舎の猿の彫刻は、「人の生き方」を猿の一生に例えて表したものだそうですね。中でも有名な「見ざる・言わざる・聞かざる」は、『(子供が)純粋な心でいるためには悪いことを「見ない・言わない・聞かない」事が良い。』という意味があるそうですね。他の猿たちも、『子供の将来を心配する』『独り立ちする決心をする』『大志を抱いて天を仰ぐ』『絶望の淵で仲間に励まされる』『恋をする』『夫婦が人生の荒波を力を合わせて乗り越える』『子供を授かる』となっていて、最初の『子供の将来を心配する』に戻るのだそうです。(ネットの文章を丸写しで申し訳ない…。)猿とはいっても「人の道」を示しているのですから、とても興味深いです。日光に行ってみたくなりました。

 自分はこの「猿三人組(三匹組?)」の意味を勘違いしていたようです。「見ざる・言わざる・聞かざる」は心を閉ざすことで自分を見つめる(一歩進んで、悟りの境地に近づく)ことだと思っていました。そうではなくて、純粋な心を持つための作法を説いているのだとすれば、見習わなくてはなりませんね。

 それのもうひとつ。今日は専門書を探しに町へ出て、一人で食事したりして見たのですが、ある医学書の中に「パーソナリティ障害(人格障害)」という項目を見つけて、まさしく自分と同じ症例が記載されていたので驚きました! これについては、今日のブログに書きたいと思います。

※あまみのくろうさぎさんでしたか!なんとなくそんな気はしていたのですが…。「幽体離脱」ですか。できるものなら体験してみたいけど、そもそも信じてないんです(笑)

投稿: Daisukeh | 2007/06/29 02:57

 それとウィルスの件ですが、最近はウィルス感染はしていません。一応、アンチウィルスを走らせているので、少しだけ安心しています。(昔、ウィルス入りのソフトを納品したことがあります。恥ずかしかった~(*_*;)

 いくつかメールマガジンを取っているのですが、その中にスパムメールが必ず混じってくる(国内外問わず)ので、その度に削除するのが面倒なのです。(自動分類はしてますけど。)

投稿: Daisukeh | 2007/06/29 03:04

日光のお猿さんに関しては多くの人が勘違いした解釈で居ると思いますよ。お土産としての可愛らしさばかりが目立ってその真意はなかなか伝わっていないものみたいです。ただ、あえて今回は間違った解釈で物事を考えても良いのではと思いまして…そうする事で少しでも楽に物事を考えることが出来ればと思いまして。
幽体離脱は私も信じていません。心と身体の分離と言うとこれしか思いつかなかったので…こういう所で教養の無さが出てしまうんですよね。
ウィルスではなくスパムメールでしたか。なかなか仕分けするのも大変みたいですね。

投稿: あまみのくろうさぎ | 2007/06/29 03:26

あえて間違った解釈での引用ですね!
今は少し心を閉ざして自分を見つめなおしてもいいかもしれません。とにかく、自分にとっての楽な状態を知りたいと思います。御助言ありがとうございました。

幽体離脱は私も信じていません。心と身体の分離と言うとこれしか思いつかなかったので…こういう所で教養の無さが出てしまうんですよね。

教養の無さなんて関係ないっす!そもそも幽体って何ですか?(あっ、質問じゃないですよ(笑))

投稿: Daisukeh | 2007/06/29 03:59

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