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鬱病(8) 人生目標

 人生目標とはなんだろうか? 今日、お医者さんに「今は(治療中だから)人生目標20~30%と考えていきましょう。」と言われた。その意味は理解できる。また、以前少し学んだ仏教の「中道」でも同じような内容が出てきた。だから、このような考え方は人間が体感して獲得した思考なのだろうから、その思考が正しいという確度が高いことは間違いないのだが・・・。

 今日、デプロメール(簡単に言うとイライラ抑制剤)が 0.25mg から 0.50mg になった。鬱の初期の頃には、焦燥感や絶望感などに悩むのが主な症状だった。最近は少しずつ感情の変化があって、病気になる以前と同じように物事を(自分なりに)多角的に推測しようと考え込んでしまい、その結果、常識的・論理的な矛盾点を穿り出して批判するという悪い癖が出てきた。この癖を外に向けて発散できずに、自分の中に溜め込んでいた(ストレス)から、鬱病になってしまったのだと思う。(「悪い癖」って書いたけど、そもそも非常識・非論理的ならその物事は間違っているのであって、これを「悪い物事」と考えることに異論はない様に思うのだが…。批判はよくないかな。)

 鬱病患者に多い思考傾向のひとつに「完璧な成功、それ以外はすべて失敗」というのがあるという。確かに自分もそういった考え方をしてしまう。中高生の頃からその様な考え方を少しずつ強めていって、現在の自分が成立しているとも言える。自分が関心を持っている物事があったとして、少なからず困難なことや妥協しなければいけなかったり、諦めざるを得ない場合があるとしよう。でも、諦める前にできることを探してやってみる、現状から未来を予測して今後の失敗を回避する、あらゆる状況を前もって考慮しておく…、こういった行為はその物事を成功(完成、自分なりの納得と言い換えてもいい)に導くためなら自分の力を100%発揮する努力をすべきだよね?

 自分は断じて「頭が良い」わけではないので、興味を持ったことに対しては、本を読んだり実験したりして、その理解を深めることに励んできたつもりだ。そしてその先に「自分の理想像」があるとすれば、それに向かって可能な限り100%のパワーで進んでいきたい。そりゃぁ、24時間100%は無理だけど、夢中になることがあるってことはそういうことなんじゃないかな? また、まとまりの無い話になっちゃったけど、『人生目標』って何だろうか? 「一生かけて成し得る目標」なのか、「生きていくため(テクニックとして)の目標」なのか? 前者であるなら、できるだけ100%で望みたい。なぜなら寿命は限られているのだから、やりたいことを全力でやらなければ生きている時間が勿体無いからだ。後者であるなら、仮に25%としてみて「いい加減」「適当」(どちらも悪い意味で)に考えてもいいんだよって事なのか? 今はまだ『人生目標』なるものの意味がわからないから、100%か20%かという考え方が理解→納得できるかが疑問だ。

 客観的に今の自分を見つめたなら、まさしくこういった「思考スパイラル(思考無限ループ?)」が自分を苦しめているのだろう。でも、論理的に「閉じて」いないと気持ちが悪いんだよ! 曖昧だったり適当だったりするファクターが多くなればそれだけメチャクチャになるじゃないか! 奥さんからはよく「難しく考えすぎる」とか「いろいろ考えすぎだ」といわれるけど、どうやってもっと楽になればいいんだろう。そもそも「楽」ってなんだろう。解らないことが多すぎる…。

誰か真面目に教えてください。

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コメント

うつ病の患者は責任感が強く真面目すぎて、また完ぺき主義の人が多いと言われます。私は自分がそうであるかは正直解らない。だが、Daisukehさんお今日の記事を拝見して自分と近いのかなと感じた。「あらゆる状況を前もって考慮しておく…、こういった行為はその物事を成功」とあるがこの考え方は当然であって特別変わった考え方ではないと考える。(変わったと言う表現は違うか。)
私がもし完ぺき主義だとして、この考え方はあなた同様に学生の時分からで今は更に輪をかけて強くなっている。対象は何も仕事だけではなく自分を取り巻く人間社会にまで及んでいる。「どうやってもっと楽になればいいんだろう。そもそも「楽」ってなんだろう。」私もこの考え方を少しでも変えれないかと考え自分なりに矯正しようとしたが未だ変わることが無い。周囲に聞いても「難しく考えすぎる」とか「いろいろ考えすぎだ」と言われるばかり。医者には「考えるな!」と言われたが、これはかなり難しい事だった。
今もこうして考えている事自体が完治を遅らせているのかも知れません。きっとこの考え方を世間で言うように「丸く」しないと表面的には治ってもこの病気のキャリアで、いつ再発するか解らないと言う事になりそうです。Daisukehさんは今完治の手前でとても大事な時期だと思います。考え込む事を避けるために日光のお猿さんのようになれればいいのですが…
私は最近では医者にも行かず、当然薬も飲んでいません。これまで多種の薬を試しましたが、効果のあったのは「ハルシオン」だけでした。結局何も改善されず今に至っています。「いい加減」、「適当」世間同様にこの言葉の意味をはきちがえることが出来たら完治できるのかな?

投稿: | 2007/06/26 12:13

 ハンドル名がありませんでしたので何方か存じませんが、自分の考え方に共感して下さる方がいたと感じ、嬉しく思いました。ありがとうございます。

 自分はコンピュータプログラマ(いわゆるソフト屋、プロフィール参照)です。職業柄というと同じ職種の人から笑われそうですが、コンピュータは例外なく『真偽(=正誤)』を基準に動いていますから、開発する側の人間は当然(俺だけ?)、成立条件とか、判断順序とか、設計した通り正確に動作させるための事象を、自分の可能な範囲ですべて考慮してプログラミングすることになります。自分も生まれ育つ中で培われた性格なのか、アルゴリズム、インターフェース、システムデザイン、ユーザビリティなどに気を配るのは当然として、プログラムの記述方法(命名規則、インデント、コメント位置、行間の改行数など)や、プロジェクトファイルの管理にも徹底的にこだわってしまい、途中まで作った物を最初から作り直すこともしばしばありました。また、なるべく最新の技術に触れるため(個人的な技能向上とそれを活かした仕事への貢献が目的です)、自分のできる範囲でいろいろな努力もしてきたつもりです。1日24時間では到底足りず(食事や睡眠は必須なので)せめて36時間くらいほしいとか、自分が2人いたら効率が上がるとか、眠らなくてもいい肉体になりたい(またはそういう合法的な薬がほしい)と本気で思っていたときもありました。(今でも、少し思いますが…。)その行為が自分の存在する証明であり、夢を叶えることや充実した人生を送るための「人生目標100%」の生き方だと確信していました。

 その癖なのか性格なのか、あらゆる物事についても『真偽』を求めてしまうようになりました。マスメディアで伝えられる情報はどこまで正確なのか、議論や人々の矛盾した行動の裏にある原因は何か、モラルや常識の欠如は何故起こるのか、誰もが知りえる99%正しいといわれる情報でも、残りの1%に本質的な問題が隠れているのではないか…。とにかくうちの奥さん曰く「何にでも疑って批判する」様になってしまいました。でも批判しているのではく、その事象の本質が知りたいのです。だから自分で体験したり、論理的に導き出された結論でないと、心が自分を許してくれない。自分でもバカバカしいことだと思います。お釈迦様も「宇宙の果てがどうなっているか知りたいと言うが、知ったところでどうなるのか?」といっています。全くその通りなんですよね。この病気に関する本や宗教の本など、いろいろと読みました。どれも言っていることは真っ当で、そのまま実践できれば「楽」な生き方ができるのでしょうね。

 ブログに書いたとおりお医者さんからは「人生目標20%くらいを目指しましょう。」と言われても、「ハァ、はい…。」としか答えられませんでした。だから、貴方の最後の言葉がとても心に残りました。 『「いい加減」「適当」な世間同様にこの言葉の意味をはきちがえることが出来たら完治できるのかな?』 そういうことなのかもしれませんが、それでいいのでしょうか? そうなってしまう自分が許せません…。

 人生目標とか、思考の論理性については、これからも考えて行きたいと思います。その時はまたコメントしていただけると嬉しいです。書き散らしてしまいすみません。(本当の自分はもっと面白いヤツのはずなんです…。)

投稿: Daisukeh | 2007/06/26 13:45

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