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鬱病(3) 精神的症状

※鬱病になって休職することになった。ここに自分の闘病記録を思い出して書き残したいと思う。

鬱状態での精神的苦痛がこんなにつらいとは思っていなかった。以前ゲームプログラマをしていた時にも、実は同じような感覚に陥ることが多々あった。膨大な量のバグフィックス、スケジュール調整、そしてなんと言っても「ゲームが面白くない」ことを修正する作業…。自分だけじゃなく、ゲーム開発チームの誰もがその場から逃げ出したい気分だったに違いない。(自分以外にも自殺願望みたいな話をする人がいたので。)でも、何とか乗り切ってきた、と思っている。最後には「自分はゲームが好きなんじゃなくて、ただコンピュータが好きだった!」ことに気が付いて、転職してしまったのだが。あの頃に耐え忍んでこれたのは、若さだったからか?それとも仲間が同じ思いを持っている安心感からか?あるいは忍者物だったからか?

自分の鬱病による精神的症状の主なものは、焦燥感からくる強い不安感、自信と意欲の喪失だった。もちろん最初の二ヶ月半くらいは判断力もないに等しく、リハビリと称していろいろな本も読んだのだが、それらに翻弄されっぱなしだった。職場放棄に対する自責の念も強かったので、もうプログラマとしてやっていけないのではないかと本気で悩んだし、将来を悲観した。そういった精神的苦痛から逃避したいが為、希死念慮が生まれたのは言うまでもない。

この頃の感覚は、思い出そうと思っても思い出せないのが不思議だ。それはやっぱり病気からくる感覚なのであって、たとえば、ある病気が治ってしばらくしてから、どういう症状だったのか思い出すことと似ている気がする。なんとなく想像できるのだが、はっきりはわからないのだ。逆に苦痛は記憶としてはっきり留めないよう、脳がそういう仕組みを持っているのかもしれない。

一般的に鬱病になりやすい人の特徴というのがあるらしい。疫学的裏付けがあるかどうかは別として、心理学的成因仮説に病前性格論というのがある。これは、秩序を愛し、几帳面で律儀、生真面目、仕事熱心で責任感が強いという性格らしい。こういう人がすべて鬱病になるというのではなくて、あくまでなりやすい性格なのであって、そういった性格の人がストレスをうまく処理できなくなることで、鬱病になってしまうという仮説だ。で、自分はどうなのかというと、結構当てはまっているのではないかという気がする。(自分で言うのもなんだが。)ただ、これらにプラスして「技術者の自負」みたいな気持ちも相当強かった。言い換えれば根拠のないプライドと無謀な知的欲求が高くて、ストレスを処理できなかったのではないか、と省みている。

鬱病を治すためには正しい投薬と休息、そして周囲の人の理解が必要とのことだ。確かにそのとおりだと思う。病気になってはじめの頃はとにかく薬を飲んで、休むことだけを考えた。次に自分が病気であるということを考えた。そして家族や会社の人々のことをいろいろと考えた。奥さんや両親にはさぞ心配な思いをさせたと思う。会社の方々や取引先の方々には、心配をかけただけでなく、多大な御迷惑と御無理をかけてしまった。本当に申し訳なく思っている。

鬱病って言うと精神病だからヤバイんじゃないかって普通の人は考えてしまう。でも、誰だって焦ったり、自信なくしたりして、ストレスと戦っているんだし、そういう人が自分も含めて病気になってしまうのは仕方ないのかもしれない。

※希死念慮(自殺願望とは異なり、客観的に理解できない理由で死にたいと願うこと。ただ死にたい、死という言葉が頭から離れないなど。)

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